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help RSS 大山鳴動したわけではないが、成果はあった

<<   作成日時 : 2010/07/10 07:48   >>

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昨日は全労委の運営委員会で、最高裁判事に転出・退任された岡部委員長に代わり、今度は運営委員長に中労委の仁田公益委員か選出された。一昨日に提出した自分の「労働委員会活性化検討委員会」第一次報告書(案)への「意見」で、ウラでは大騒ぎだったらしい。仁田新委員長は「どう取り扱えばいいのか」と苦慮されたらしいが、検討委員会の責任者である岩村中労委公益委員は、永年の付き合い(?)からか「彼なら大丈夫」と取りなしたらしいし、使用者委員、労働者委員でも一騒ぎあったらしい。なぜなら、「検討委第一次報告」は、運営委員会で確認後。全労委総会を待たずして直ちに実行に移る旨、確認されていたらしく、自分の意見を受けて修正することなどあってはならないことだったらしい。そんなアホな、と思われるかもしれないが、今に始まったことではない。まぁ、とにかく言いたいことはきちんと言わせてもらいたいとの自分の「意見書」であり、その経過を考慮に入れて発言させていただいた。岩村委員長からの「幾つかの点は都労委時代から見解の相違と認識しているが、労委制度への危機感を含め大筋において同意できるものであり、今後の委員会審議で検討させていただきたい」との回答で落着したが、東京のN使用者委員が、労委と司法の問題について自分の意見に同意する旨の発言をしていただいたのが実に嬉しかった。とにかく、昨年の全労委総会を受けて、その後の運営委員会で「もはや総会を二泊三日で冗長に開催するのではなく、一泊二日に短縮すべし」と発言したが、一顧だにされなかった現状の中で、表彰の簡略化に伴い来年から一泊二日に短縮されることが、急遽決定されたことに感謝しつつ、無理難題をこれ以上ぶつけなかったとの顛末…。いや、知らない方には理解できない世界だと書いていて思う。それでも前段の労委労協幹事会と併せ、しゃべり続けた半日であった。

閑話休題ではないが、一昨日の日経夕刊コラムで村上陽一郎・東洋英和女学院大学長が「人間って変」と題しワールドカップに関し天邪鬼的文章を書かれていた中に、スポーツの語源は<disport>、つまり本来は「移す」ことだ、旨書かれていたのに、興味を覚え、グーグルで検索すると、いや、面白かったので、いくつか紹介したい。知らなかったことを知る楽しさがある限り、無常の世界でも生きられる。

>スポーツとは?(スポーツとは何だろうか ? )
スポーツ(sports)は、 ラテン語のportare(ポルターレ=ものを運ぶ)に由来したものであり、ラテン語のdeportare(デ・ポルターレ=生活から離れる)がフランスに渡り、Desporter(Des 離れる+porter運ぶ。 ディスポーター=ものを運ぶことをやめる。動詞で、はしゃぎ回ると言う意味もある)とになった。この頃は、仕事から離れる、生活から離れる、どこかへ行くことなどを意味し、カードで遊んだり、気分転換すること、楽しい感情を発散させるものであれば何でもDesporterとされた。11世紀頃にはイギリスに渡り、disportまたはdesportとなり、遊びたわむれるといった意味を持つ言葉に代わったという説とフランスでdesportになりイギリスへ渡ったと言う説がある。その後イギリスでは 16世紀になるとdis,desが省略されsportと表記されるようになった。この頃は、山登りや、食事をすること、女性を口説くことまで幅広くスポーツとされていた。
 18世紀には、スポーツのルール、用具、記録の方法など、現在のスポーツの原型が確立される。サッカー、競馬、陸上競技、テニス、自転車、ヨット、ゴルフなどがそうである。本来、貴族の遊びであったスポーツは、産業革命(1760年)以降に、二つの流れで発展していく。一つは中産階級市民の野外での気晴らしや気休めとして遊びやゲームを行なう運動としておこなわれ、もう一つは政治や社会生活の分野における有効な教育の手段として持ちられることで普及していく(=近代スポーツの発展)。しかし、狩猟や乗馬などの競技はなお支配階級の特権であり、庶民たちにレクリエーションを行なわせることで自分たちのスポーツの排他性を守ったといえる。 その後、19世紀になると、徐々にスポーツは競技とそれに付随するギャンブルをさすようになっていく。 その背景には旧来のスポーツを意味する言葉として、レジャーやレクリエーションという言葉が使われるようになったことがあげられる。

>スポーツは学問や芸術と同じように、人間によって作り出された一つの文化です。
学問や芸術は心にゆとりの無い人には価値が感じられません。それは同じ文化であるスポーツも同様です。
portは港と訳される事が多いですが、振る舞い、姿勢、役割という意味もあります。それが否定の接頭語disと繋がり、日常からの脱却つまり、息抜き、気晴らしという意味になっていったのです。
ゆえにスポーツは勝つためにプレーするのではなく、よりうまくプレーできる過程を楽しむ事に意義があるのです。
とはいっても、マッチプレーですから勝ち負けはあるのです。立派な敗北は、空ろな勝利より名誉という言葉が指し示すとおり人間は勝利よりも敗北から多くの事を学びます。自身の闘った相手の勝利を心から称賛し、かっては敵だった相手と友情を育む事。これこそがスポーツ最大の意義ではないでしょうか?
よって、実人生で、どんな事が起こっても動じない平常心を養うチャンスでもあるのです。スポーツは。

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