|
注目された「日の丸・君が代への教員の不起立」に対する最高裁の判決が1/16に下された。マスコミの論調は実に様々で、各紙の体質を実によく現したが、いまさら読売・産経を批判しても仕方ないので、まず判決を忠実に(?)紹介した日経の記述を借用してみたい。日経の見出しは「君が代不起立、停職・減給は『慎重に』 最高裁 2人の処分取り消し」とし「卒業式などで国歌斉唱時に国旗に向かって起立せず、懲戒処分を受けた東京都の公立学校の現・元教職員ら計約170人が処分取り消しなどを求めた3件の訴訟の上告審判決が16日、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)であり、停職2人のうち1人と、減給1人の処分を『裁量権の乱用で違法』として取り消した。残る停職1人と戒告の処分は適法と判断した。」と報じ、以下のように続けた。 >同小法廷は、減給以上は「行為の性質を踏まえた慎重な考慮が必要」と指摘。学校秩序を大きく害する行為で過去に処分歴があるなど具体的事情がなければ違法になりうるとの初判断を示した。 国旗に向かっての起立と国歌斉唱を求めた校長の職務命令違反に対する過重な処分に一定の歯止めをかけた形。橋下徹大阪市長率いる地域政党「大阪維新の会」が成立を目指し、命令違反3回で免職とする教育基本条例案にも影響しそうだ。 同小法廷は判決理由で、減給や停職処分ができるのは「規律や秩序を大きく害する行為で処分歴があるなど、処分による不利益と比べても、なお処分が必要な場合に限られる」と説明。処分が不適当な例として、停職は「過去1、2年に数回の不起立処分歴だけの場合」、減給は「過去1回の不起立処分歴だけの場合」と具体的に指摘した。 その上で、2年で3回の処分歴があり停職1カ月とされた1人と、過去1回の処分歴で減給とされた1人の処分を取り消した。国旗を引きずり降ろすなどして懲戒5回と訓告2回の1人の停職3カ月は「重すぎない」と判断、戒告の168人は「裁量の範囲内」とし、いずれも適法とした。 5人の裁判官中4人の多数意見。宮川光治裁判官(弁護士出身)は「教員の精神の自由はとりわけ尊重が必要。違法性は極めて希薄で、戒告でも重すぎる」と反対意見を述べ、処分は全て取り消すべきだとした。 一、二審判決によると、原告らは2003〜06年、不起立やピアノ伴奏拒否を理由に都教育委員会から懲戒処分を受けた。一審は3件の訴訟とも原告側敗訴。二審は戒告と減給に関する2件で原告側、停職の1件で都側がそれぞれ勝訴した。 最高裁判決後、原告らは記者会見し、減給取り消しが確定した元教員、渡辺厚子さん(61)は「処分の累積を許さないという判断は大きな勝利だ」と指摘。弁護団も「免職に行き着く処分システムに歯止めがかかった」と一定の評価を示した。 大原正行・東京都教育長は処分取り消しの判決について「厳粛に受け止める」とコメントした。 最後に全文紹介させていただくが、宮川裁判官の反対意見はあるものの、法律、条例、さらには憲法が絡み合う中で、最高裁の「政治判断」が透けて見える判断だった。本来「強制」にはなじまないものとして「国旗・国家」はあるとの正論が、右からの凄まじいばかりの攻撃・圧力に屈しつつある異様な状況が引き続き継続するのだろう。しかし、当然ながら「教員」も「労働者」であり、「業務命令」が「正当」とされる基準は定められている中で、あらゆる「業務命令」に従わなければならないとの流れを定着させてはならないはずだ。「業務命令」に従わなければ「処分」されても正当だとの「企業秩序優先」にどんどん進んでいることを、「労働組合」は危険視し、きちんと反撃しなければならない。「職務専念義務」「施設管理権」が金科玉条に強制され、「逆らったら解雇」というブラック企業体質を許してはならない。その意味で、朝日新聞が、こう記述したのには疑問を感じた。 >最高裁「戒告は裁量権の範囲内」 日の丸・君が代訴訟(朝日) 卒業式などで日の丸に向かって起立せず、君が代を斉唱しなかった公立学校の教職員などを停職や減給、戒告とした東京都の懲戒処分をめぐる3件の訴訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は16日、「戒告は基本的に裁量権の範囲内だが、それより重い減給・停職は過去の処分歴などを慎重に考慮する必要がある」との初めての判断を示した。 3件の訴訟を起こしていたのは計171人。うち、戒告処分を受けた168人については処分を取り消した二審判決を破棄して、全員の請求を棄却した。減給処分を受けた1人については、処分を取り消した二審判決を支持した。 停職処分を受けた残る2人のうち、1人の処分は取り消したが、もう1人は過去の処分歴を重視し、違法性はないとした一、二審判決の判断を支持した。 減給・戒告処分を受けた計169人をめぐる2件の訴訟では、昨年3月の東京高裁判決が「教員らの行動は職務怠慢ではなく、信念に基づいた真摯(しんし)な動機によるものだった」などと指摘。「懲戒処分まで科すのは社会観念上重すぎる。懲戒権の乱用だ」と判断していた。 最も重い停職処分を受けた2人の訴訟では、同月の別の東京高裁判決が「元教諭は過去に同様の処分を繰り返し受けており、社会観念上著しく妥当性を欠いているとはいえない」と判断していた。 「戒告」の乱発が、最終的には「解雇」に及ぶ以上、現場では戒告処分に対しても、きちんと反撃しなければならない。経営法曹では、いきなりの解雇はよほどのことでもない限り是認されないゆえ、処分を積み重ねた上で解雇しろと指導している。したがって、労働組合としてはあらゆる処分にきちんと反撃しなければならない。「戒告は裁量権の範囲内」との見出しを認めることはできない。 レイバーネットには多数の情報がアップされているが、ここでは「大阪教育合同労組・寺本さんのレポート」を紹介する。 ><その1> 現在、河原井さん・根津さんの判決報告集会に参加しています。戸田弁護士は、この判決を画期的なものと評価し、大阪の動きに対する歯止めを期待していました。また早稲田大学の岡田さんは、分断判決について、最高裁内部で激しい対立があり、政治的な妥協が図られたからではないか、教育行政の暴走に対して最高裁が一定の見識を示したものと述べました。 本日出された「君が代」不起立処分に関わる3つの最高裁判決をまとめると、以下のようになります。 ○河原井さん・根津さんへの停職処分については、分断判決となりました。河原井さんの停職処分が取り消され、損害賠償が高裁へ差し戻された一方で、根津さんの停職処分はそのまま容認されました。 ○アイム89組合員への戒告処分は、高裁での処分取り消し判決が破棄され、処分が容認される判決でした。 ○さらに続けて出された戒告処分、減給処分取り消し訴訟では、戒告処分は容認されたものの、減給処分は取り消されました。 根津・河原井裁判では、宮川裁判官が反対意見、櫻井裁判官が反対に近い補足意見がついています。結局、3対2の多数でこの判決が出されたことになるでしょう。この判決の結果、不起立のみの処分では、戒告はやむをえないとしても、減給・停職は認められないというのが最高裁の考え方であるということになります。 大阪における「君が代」強制条例、教育基本条例案の動きに対する最高裁なりの考え方を示したものといえます。これを何とかテコにして、教育基本条例案を廃案に、不起立処分反対の闘いをさらにすすめていかなければなりません。 <その2> 引き続いて、報告集会の様子です。独協大学・市川さん「戒告と減給の間に線を引かせたことは大きな意味がある、ただ根津さんへの判決は明らかに政治的な判決であり許されない」 新潟大学・世取山さん「最高裁は、教育公務員としてではなく、一般公務員として判断を下したが、宮川裁判官は、教育公務員にはより広範囲の自由が必要だから、処分は重すぎるとの反対意見を出してくれたので、本来の教育のあるべき姿が見えてきたことは意義がある」 高島伸欣さん「まだまだ闘いの余地がある。この判決を土台にして、次には大法廷を開かせて、ひっくり返させたい」 内田雅俊弁護士(アイムの弁護士)「全体としては、君が代裁判については一歩前進したと思う。教員が日頃言っていることと行為を一致させたいという思いを高裁の大橋裁判長は考えてくれた。その考え方は、宮川裁判官の反対意見に伝えられている。今日の判決の下支えをしたのが大橋判決」 河原井さん「今日は絶対開きたくない旗を開くことになってしまった。法廷で聞いたときは、大阪を止められないと思った。しかし、いまは逆転勝訴の旗を出していいんだと思う。大阪への影響もある。分断判決は許されないが、裁判に頼らず、抵抗のエネルギーを絶やさないことが大事。味噌作りと憲法学集会を全国行脚でやりたい。」 根津さん「ターゲットにはされたが、それで停職処分はダメという判決を得られたことはよかった。不起立を続ける者がいなければ、停職処分も出なかった。停職6ヶ月の裁判があと3つあるので、絶対勝ちたい。」 <その3> 河原井・根津裁判の報告集会に続いて、被処分者の会裁判の報告集会が行われています。 加藤弁護士「宮川裁判官の反対意見は、旭川学テ判決をきっちり読み込んでいる。とくに「地方公務員であっても、教育を司る教員であるからこそ、一般行政に携わる者とは異なって、自由が保障されなければならない側面があると考えるのである」と書かれていることは私たちの主張を入れたもので評価できる。」 「高裁判決で勝利した上で口頭弁論が開かれたことで危機感を感じたが、減給のところで歯止めをかけられたことは大きな成果。多くの人々が裁判を起こしたからこそ、この判決をかちとれた。」 水口弁護士「根津さんの停職処分、高裁で取り消された戒告処分では勝てなかったが、最高裁で、減給、停職が取り消させたことは全員の勝利であったことを確信して、今後の裁判をがんばりたい」 この「分断判決」への評価は、原告・弁護団を含め、さらに議論されるのだろうが、個人的には肯定できないことを表明し、まず東京新聞社説を紹介したい。 >君が代判決 過剰な処分に歯止めを(東京新聞社説 2012年1月17日) 君が代を歌わなかっただけで、停職処分としたのはやりすぎ−。東京の教職員らが処分撤回を求めた裁判で、最高裁はそう判断した。過剰処分を断行し、国歌斉唱を強いる風潮の歯止めとなろう。 卒業式での君が代斉唱は、戦後も一般的に行われている。一方で、「戦時中の軍国主義のシンボルだ」と考える人々が少なからずいることも、また事実だ。 東京都は職務命令として国歌斉唱を強いているが、信念として歌えない教員らがとった行動が「不起立」である。その結果、多くの教員らが懲戒処分を受けた。 斉唱の職務命令が憲法違反かどうかの決着はすでについている。昨年五月以降、最高裁が「合憲」判断を続けて出している。 その後の君が代訴訟は、命令に従わなかったことが、戒告や減給、停職などの懲戒処分に相当するかが焦点だった。最高裁は「戒告は都の裁量の範囲内」としたものの、停職など重すぎる制裁には、一部原告の訴えを認め、処分取り消しの判決を出した。 ある教員のケースをチェックしてみよう。最初は卒業式で起立しなかったから戒告。二回目は不起立で減給。三回目も不起立だったから、減給のうえ、三回繰り返したという加重処分の方針に従って、停職となったのである。 積極的に式典の進行を妨害したわけではない。最高裁が停職処分を取り消したのは当然だろう。規律や秩序の必要性と、処分の不利益をてんびんにかけてみると、「処分の重さが社会観念上、著しく妥当性を欠く」からだ。 ただし、「戒告は許容範囲」とする多数意見について、宮川光治判事は反対した。「思想・良心の核心と密接に関連しており、精神的自由は憲法上保護されねばならない」という考えからだ。 確かに戒告は軽くない。懲戒処分だから、昇給の遅れ、さらに退職金や年金額への影響もあり得る。宮川判事は「戒告がなされると、こうした累積処分が機械的にスタートする」と懸念した。 そもそも職務命令を「合憲」とした三つの小法廷でも、思想・良心の自由の制約になるなどとして、判事の二人が反対意見を書いた。その事実は重い。 大阪府で君が代斉唱条例が成立し、大阪市でも条例化が進む。強制と厳罰は、さらに教育現場に深刻な対立を生みかねない。自然で自発的な国歌斉唱こそ望ましい姿ではないだろうか。 毎日新聞も、こう記述した。 >だが、そもそも教育現場で、力で抑え込むような指導が妥当なのかは疑問が残るところだ。生徒らの入学や卒業を祝う式典の場ではなおさらではないだろうか。 学校で君が代斉唱を巡り処分が相次ぐようになったのは、99年に国旗・国歌法が成立した影響も大きいだろう。だが、当時の小渕恵三首相が国会論議で述べたように、個々人に強制するものであってはならない。 最高裁は昨年、君が代斉唱時に起立を命じた校長の職務命令が合憲だとした判決で「君が代の起立・斉唱行為には、思想・良心の自由に対する間接的な制約となる面があることは否定し難い」と述べた。たとえ戒告処分であっても慎重に判断すべきなのは当然だ。判決を「より軽い処分」のお墨付きにしてはならない。 大阪府では昨年、公立校教職員に君が代の起立・斉唱を義務づける全国初の条例が成立した。府議会には、「常習的な職務命令違反者」の分限免職も規定した教育基本条例案が提出されている。最高裁の判決の内容も踏まえて議論してもらいたい。 なお、濱口桂一郎さんは、ブログでさっそくこう評された。 >「労働法の判例」(濱口桂一郎 EU労働法政策雑記帳 1/17) 労働法の判例としてはおおむね妥当なラインというところでしょう。個々のケースの当てはめには議論はあるでしょうが、総体としての枠組みとしては。 http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20120116162214.pdf >・・・以上によれば,本件職務命令の違反を理由として,第1審原告らのうち過去に同種の行為による懲戒処分等の処分歴のない者に対し戒告処分をした都教委の判断は,社会観念上著しく妥当を欠くものとはいえず,上記戒告処分は懲戒権者としての裁量権の範囲を超え又はこれを濫用したものとして違法であるとはいえないと解するのが相当である。 >・・・そうすると,上記のように過去に入学式の際の服装等に係る職務命令違反による戒告1回の処分歴があることのみを理由に同第1審原告に対する懲戒処分として減給処分を選択した都教委の判断は,減給の期間の長短及び割合の多寡にかかわらず,処分の選択が重きに失するものとして社会観念上著しく妥当を欠き,上記減給処分は懲戒権者としての裁量権の範囲を超えるものとして違法の評価を免れないと解するのが相当である。 http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20120116143405.pdf >・・・そうすると,上記のように過去2年度の3回の卒業式等における不起立行為による懲戒処分を受けていることのみを理由に同上告人に対する懲戒処分として停職処分を選択した都教委の判断は,停職期間の長短にかかわらず,処分の選択が重きに失するものとして社会観念上著しく妥当を欠き,上記停職処分は懲戒権者としての裁量権の範囲を超えるものとして違法の評価を免れないと解するのが相当である。 >・・・そうすると,上記のように同種の問題に関して規律や秩序を害する程度の大きい積極的な妨害行為を非違行為とする複数の懲戒処分を含む懲戒処分5回及び上記内容の文書の配布等を非違行為とする文書訓告2回を受けていたことを踏まえて同上告人に対する懲戒処分において停職処分を選択した都教委の判断は,停職期間(3月)の点を含め,処分の選択が重きに失するものとして社会観念上著しく妥当を欠くものとはいえず,上記停職処分は懲戒権者としての裁量権の範囲を超え又はこれを濫用したものとして違法であるとはいえないと解するのが相当である。 労働法の判例としては、というのは、もちろん教育公務員といえどもれっきとした労働者であり、上司の業務命令に従う義務はあるとともに、均衡を失した過重な懲戒処分を受けるべきではない、という意味で民間労働者と同じ権利があるという意味です。 会社の従業員が会社の儀式で命じられたのに起立しなかったとしたらどうか、という話なわけで。 ところが、この事件に強い関心を持つような人々であればあるほど、この事件をそういう民間企業労働者と同じ労働者の権利と義務の問題として捉えることに忌避感を持つようなのですね。ある種の人々からすると、この原告たちは天地共に許さざる非国民なのでしょうし、別の種の人々からすると、彼らは悪の帝国と闘う偉大なる英雄なのでしょう。 世の中にはそういう観点からこの問題を捉える視座というものがあり、そういう(対極的ではあるが良く似通った)視座が大好きな方々からすると、教師は聖職であって労働者ではないんでしょうね。 最後に宮川裁判官の「反対意見」を全文させていただくが、最高裁の「ガス抜き」に見えてしまうのはなぜだろう…。 >多数意見は,本件職務命令は憲法19条(思想及び良心の自由)に違反せず,また,第1審原告X4を除くその余の第1審原告らに対し戒告処分をした都教委の判断は懲戒権者としての裁量権の範囲にあるとするが,私は,そのいずれについても同意できない。なお,第1審原告X4に対する減給処分を裁量権の範囲を超えるものとした結論には同意できるが,理由を異にする。 第1 本件職務命令の憲法適合性について 1 原審は,第1審原告らがそれぞれ所属校の各校長から受けた本件職務命令に従わなかったのは,「君が代」や「日の丸」が過去の我が国において果たした役割に関わる第1審原告らの歴史観ないし世界観及び教育上の信念に基づくものであるという事実を,適法に確定している。そのように真摯なものである場合は,その行為は第1審原告らの思想及び良心の核心の表出であるか少なくともこれと密接に関連しているとみることができる。したがって,その行為は第1審原告らの精神的自由に関わるものとして,憲法上保護されなければならない。第1審原告らとの関係では,本件職務命令はいわゆる厳格な基準による憲法審査の対象となり,その結果,憲法19条に違反する可能性がある。このことは,多数意見が引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決における私の反対意見で述べたとおりである。 なお,そこでは,国旗及び国歌に関する法律と学習指導要領が教職員に起立斉唱行為等を職務命令として強制することの根拠となるものではないこと,本件通達は,式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せられたものではなく,その意図は,前記歴史観等を有する教職員を念頭に置き,その歴史観等に対する強い否定的評価を背景に,不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制することにあるとみることができ,職務命令はこうした本件通達に基づいている旨を指摘した。本件では,さらに多数意見が指摘する「地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性」について,私の意見を付加しておくこととする。 2 第1審原告らは,地方公務員ではあるが,教育公務員であり,一般行政とは異なり,教育の目標に照らし,特別の自由が保障されている。すなわち,教育は,その目的を実現するため,学問の自由を尊重しつつ,幅広い知識と教養を身に付けること,真理を求める態度を養うこと,個人の価値を尊重して,その能力を伸ばし,創造性を培い,自主及び自律の精神を養うこと等の目標を達成するよう行われるものであり(教育基本法2条),教育をつかさどる教員には,こうした目標を達成するために,教育の専門性を懸けた責任があるとともに,教育の自由が保障されているというべきである。もっとも,普通教育においては完全な教育の自由を認めることはできないが,公権力によって特別の意見のみを教授することを強制されることがあってはならないのであり,他方,教授の具体的内容及び方法についてある程度自由な裁量が認められることについては自明のことであると思われる(最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁参照)。 上記のような目標を有する教育に携わる教員には,幅広い知識と教養,真理を求め,個人の価値を尊重する姿勢,創造性を希求する自律的精神の持ち主であること等が求められるのであり,上記のような教育の目標を考慮すると,教員における精神の自由は,取り分けて尊重されなければならないと考える。個々の教員は,教科教育として生徒に対し国旗及び国歌について教育するという場合,教師としての専門的裁量の下で職務を適正に遂行しなければならない。したがって,「日の丸」や「君が代」の歴史や過去に果たした役割について,自由な創意と工夫により教授することができるが,その内容はできるだけ中立的に行うべきである。そして,式典において,教育の一環として,国旗掲揚,国歌斉唱が準備され,遂行される場合に,これを妨害する行為を行うことは許されない。しかし,そこまでであって,それ以上に生徒に対し直接に教育するという場を離れた場面においては,自らの思想及び良心の核心に反する行為を求められることはないというべきである。音楽専科の教員についても,同様である。 このように,私は,第1審原告らは,地方公務員であっても,教育をつかさどる教員であるからこそ,一般行政に携わる者とは異なって,自由が保障されなければならない側面があると考えるのである。 3 以上のとおり,第1審原告らの上告理由のうち本件職務命令が憲法19条違反をいう部分は理由がある。 第2 懲戒処分の裁量審査について 1 多数意見は,本件職務命令の違反を理由として,過去に同種の行為による懲戒処分等の処分歴のない第1審原告らに対してなされた戒告処分(以下「本件戒告処分」という。)は,懲戒権者としての裁量権の範囲を超え又はこれを濫用したものとはいえないという。そこで,私も,本件職務命令の憲法適合性に関する判断を留保し,また,本件戒告処分自体も憲法19条に違反する可能性があるが,その判断を留保し,その上で,本件の懲戒処分に係る裁量審査に関し,私の反対意見を述べる。以下,2において考慮すべき諸事情のうち第1審原告らの行為の原因,動機及び行為の態様と法益の侵害の程度について述べ,3において本件では戒告処分は実質的にみると重い不利益処分であることを指摘し,4において他の非違行為に対する処分及び他地域の処分例と比較すると不公正であることを述べる。 2 第1審原告らの不起立行為等は,「日の丸」や「君が代」は軍国主義や戦前の天皇制絶対主義のシンボルであり平和主義や国民主権とは相容れないと考える歴史観ないし世界観,及び人権の尊重や自主的に思考することの大切さを強調する教育実践を続けてきた教育者としての教育上の信念に起因するものであり,その動機は真摯であり,いわゆる非行・非違行為とは次元を異にする。また,他の職務命令違反と比較しても,違法性は顕著に希薄である。第1審原告らが抱いている歴史観等は,ひとり第1審原告ら独自のものではなく,我が国社会において,人々の間に一定の広がりを有し,共感が存在している。 また,原審も指摘しているが,憲法学などの学説及び日本弁護士連合会等の法律家団体においては,式典において「君が代」を起立して斉唱すること及びピアノ伴奏をすることを職務命令により強制することは憲法19条等に違反するという見解が大多数を占めていると思われる。確かに,この点に関して最高裁は異なる判断を示したが,こうした議論状況は一朝には変化しないであろう。第1審原告らの不起立行為等は消極的不作為にすぎないのであって,式典を妨害する等の積極的行為を含まず,したがって,式典の円滑な遂行に物理的支障をいささかも生じさせていない。法益の侵害はほとんどない。 3 第1審原告らは,最初の不起立行為等で本件戒告処分を受けたのであるが,その処分が第1審原告らに与える不利益については過小評価されるべきではないと思われる。確かに,戒告処分は法の定める懲戒処分の中では最も軽いが,処分を受けると,履歴に残り,多数意見も認めるとおり勤勉手当は当該支給期間(半年間)において10%の割合で減額され,昇給が少なくとも3か月延伸される可能性があり,その延伸によりひいては,退職金や年金支給額への影響もあり得る。そして,東京都の教職員は定年退職後に再雇用を希望するとほぼ例外なく再雇用されているが,戒告処分を受けるとその機会を事実上失い,合格通知を受けていた者も合格は取り消されるのが通例であることがうかがわれる。 都教委は,不起立行為等をした教職員に対し,おおむね1回目は戒告処分,2回目は1か月間月額給与10分の1を減ずる減給処分,3回目は6か月間月額給与10分の1を減ずる減給処分,4回目は停職1か月の停職処分等という基準で懲戒処分を行っていることがうかがわれる。毎年度2回以上の卒業式や入学式等の式典のたびに懲戒処分が累積加重されるのであるから,短期間で反復継続的に不利益が拡大していくのである。戒告処分がひとたびなされると,こうした累積処分が機械的にスタートする。 以上のとおり,実質的にみると,本件では,戒告処分は,相当に重い不利益処分であるというべきである。 4 教職員の主な非行に対する標準的な処分量定(東京都教育長決定)に列挙されている非行の大半は,刑事罰の対象となる行為や性的非行であり,量定上それらに関しても戒告処分にとどまる例が少なくないと思われる。原審は,体罰,交通事故,セクハラ,会計事故等の服務事故について都教委の行った処分等の実績をみると,平成16年から18年度において,懲戒処分を受けた者が205人(うち戒告が74人)であるのに対し,文書訓告又は口頭注意といった事実上の措置を受けた者が397人,指導等を受けた者が279人となっており,服務事故(非違行為) と認められた者のうち懲戒処分を受けたのは4分の1にも満たないとし,これによれば,戒告処分であっても,一般的には,非違行為の中でもかなり情状の悪い場合にのみ行われるものということができるとしている。 さらに,不起立行為等に関する懲戒処分の状況を全国的にみると,懲戒処分まで行っている地域は少なく,例えば神奈川県や千葉県では,不起立行為等があっても,またそれが繰り返されていても,懲戒処分はされていないことがうかがわれる。 このように比較すると,本件戒告処分は過剰に過ぎ,比例原則に反するというべきである。 5 以上を総合すると,多数意見がいう不起立行為等の性質,態様,影響を前提としても,不起立行為等という職務命令違反行為に対しては,口頭又は文書による注意や訓告により責任を問い戒めることが適切であり,これらにとどめることなくたとえ戒告処分であっても懲戒処分を科すことは,重きに過ぎ,社会通念上著しく妥当性を欠き,裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用するものであって,是認することはできない。この点に関する原審の判断は相当である。 第1審原告X4については,多数意見は減給処分の取消請求を認容した原審の判断を是認することができるとしており,結論において同じとなるが,上記のとおり,私の意見は理由を異にする。なお,多数意見は,過去の処分歴に係る非違行為がその内容や頻度等において規律や秩序を害する程度の相応に大きいものであるなどの場合は,減給処分が裁量の範囲にあるものとされる可能性を容認していると思われる。そうであるとすると,前述のとおり式典は毎年度2回以上あり,不起立行為等を理由とする戒告処分は短期間に累積されていくのであるから,ある段階では減給処分がなされる可能性がある。多数意見は,起立斉唱行為に係る職務命令は思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることを認めていることに鑑みると,ただ単に不起立行為等が累積したにすぎない場合に減給処分が裁量の範囲にあるものとされる可能性を容認することは,相当でないと思われる。 |
| << 前記事(2012/01/17) | ブログのトップへ | 後記事(2012/01/18) >> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|---|
口パクで懲戒処分ならAKBは全員クビになる
新聞にどう掲載されていたか知らないが、金曜日のインタネットニュースで笑ってしまった報道。 朝日新聞の社説が、大阪府立高校の教職員らに対する「国歌斉唱口元チェック」に批判的な姿勢を示したことに対し、「朝日は多数決をどのように考えているのか?」「(朝日の主張は)民主主義をバカにした論だ」と橋下徹大阪市長がツイッターで反論したことだ。橋下氏が「民主主義」を口にすること自体が笑い話だが、選挙の時も橋下支持の論陣を張っていた朝日新聞から批判されたことにあわてる態度が、実は批判にはもろいことを示してい... ...続きを見る |
シジフォス 2012/03/18 07:11 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2012/01/17) | ブログのトップへ | 後記事(2012/01/18) >> |