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zoom RSS アウン・サン・スー・チーさんの演説に涙ぐんだ

<<   作成日時 : 2012/06/20 11:17   >>

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年をとると涙もろくなる。美辞麗句をちりばめた演説よりも、この素直な語りかけが何よりも心を癒し、奮い立たせてくれる。アウン・サン・スー・チーさんのノーベル平和賞授賞式での演説を、ブログ「Everyone says I love you !」からそのまま紹介する。もとの方が読みやすく、写真もついているのでお勧めだが…
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/e1c67ac550affee0914db13613b20784
とにかく、消費増税や原発再稼働強行への怒りの中で、この演説に巡り会えたことに感謝…。

アウン・サン・スー・チー女史 ノーベル平和賞受賞演説要旨(2012.6.16 ノルウェー)
 何年も前、私は英オックスフォードで息子とラジオ番組「無人島のレコード」を聴いていた。
 著名人が招かれ、無人島に流された場合に携えていきたい8枚のレコード、聖書とシェークスピア全集以外の1冊の本、一つのぜいたく品が何かを語る番組だった。
 番組の最後に、息子が番組に私が招かれることがあるだろうかと尋ねた。「もちろんよ」。私は軽く答えた。息子はどんな理由で呼ばれると私が考えているのかを尋ね、私は「多分、ノーベル文学賞を取るからよ」と答え、2人で笑った。
 今回の演説稿を書いている間、私は授賞が発表された際の自分の反応がどんなだったかを思い出そうと懸命に努力した。
 こんな感じだったと思う。「おお、彼らは私への授与を決めたんだ」。現実感は全くなかった。なぜなら私はその時、自分自身を現実的に感じられなかったからだ。
 自宅軟禁の時しばしば、まるで自分が現実世界の一部でないかのような感じがした。自宅が私の世界であり、自由を奪われ監獄にいる人々の世界、それに自由な世界があった。それぞれの世界は、無関心の宇宙の中で、独自の道を突き進む別々の惑星のようだった。
 平和賞は、自分が暮らす隔絶された空間の外部にいる人々の世界に私を再び引き寄せ、現実感を取り戻させた。
 何日も何カ月もたち、授賞に関するニュースが電波に乗って伝えられるにつれ、私は受賞の意義を理解し始めた。
 それは私を再び現実に引き戻させた。さらに重要なことは、ビルマ(ミャンマー)の民主化や人権の闘争を世界に知らせたことだ。われわれが忘れられることはなかった。

 忘れ去ることは一部の死を意味する。忘却とは他の人類とわれわれとをつなぎ留める輪の一部を失うことだ。
 最近のタイ訪問でビルマからの労働者や難民に会ったとき、多くの人たちが叫んだ。「私たちを忘れないで」。ノーベル賞委員会はビルマでの抑圧や孤立もまた世界の一部であり、人類が一つであることを認識していた。
 私にとって受賞は、民主主義と人権に関する私の懸念が国境を超えて広がったことを意味する。平和賞は私の心の扉を開いた。

 私の国では、北部では武力衝突がやまず、西部では今回の旅に出る数日前、集団間の焼き打ちや殺人が起きた。
 残虐行為のニュースが地球上にあふれている。平和の土台をむしばむ勢力はどこにでもいる。平和が死んでしまう場所は戦争だけではない。体面を傷つけたり、敵意や怒りを与えたりする苦痛が無視された場所には必ず紛争の種が存在する。
 仏教徒の私が一般的に「苦痛」と訳される言葉「ドカ」の本質を調べようとしたのは自宅軟禁中だった。六つの「ドカ」とは身ごもること、年を重ねること、患うこと、死ぬこと、愛する人と別れること、愛していない人との生活を強いられることだ。

 自宅軟禁中に私は何度、大好きな世界人権宣言の前文から力をもらったことだろう。

 「人権の無視や軽視は、人間の良心を踏みにじる野蛮な行為をもたらした。言論や信仰の自由を享受でき、恐怖や欠乏のない世界の到来は、人々の最高の願望として宣言された」「専制と圧迫に対する最後の手段として人々が反乱を起こさざるを得ない状態にしないために、法の支配によって人権保護することが肝要である」

 もし、なぜビルマで人権のために闘い続けるのかと問われたら、以上の文章がその答えだ。ビルマで民主主義のために闘い続けるのは、民主主義の制度と実践が人権を保障するために欠かせないからだ。

 この1年、民主主義と人権の価値を信じる人々の努力が実を結びつつあることを示す兆候が出てきた。
 私がきょう皆さんと共にいられるのは、わが国の最近の変化のおかげであり、これらの変化は、われわれの状況に世界が関心を払うために努力してくれた皆さんら自由と正義を愛する人々によってもたらされた。
 ビルマでは政治犯がまだ収容されている。有名な政治犯が釈放されたことで、残る無名の政治犯が忘れられてしまうとしたら警戒すべきことだ。
 ビルマは多くの少数民族からなる国で、将来の信頼は、真の団結精神によってのみ形作られる。
 1948年に独立して以来、国全体が平和と言えた時期は一度もなかった。対立の要因を取り除くために必要な信頼と理解を醸成できなかった。
 ここ数カ月、政府と少数民族勢力との間の交渉は進展している。停戦合意が、国民の強い願望と団結の精神に基づいて形成される政治的解決につながることを希望する。
 国民民主連盟(NLD)と私は、国民和解のプロセスでどんな役割でも担う準備ができている。テイン・セイン大統領によって実行に移されている改革は、国民生活が向上した場合のみ、効果的と言うことができ、その意味では、国際社会は死活的に重要な役割を担っている。
 わが国の潜在力はとてつもなく大きい。ただ繁栄のためではなく、国民が平和かつ安全、自由に暮らせる調和がとれた民主社会をつくるために、この潜在力を伸ばし、発展させるべきだ。

 世界の平和は一部だけをほかと切り離すことはできない。世界のどこかで負の勢力が正の勢力より優勢であれば、われわれ全てが危険にさらされる。全ての負の勢力を駆逐できるかは疑問が投げかけられるだろう。単純な回答は「ノー」だ。
 究極の世界平和は、達成不可能なゴールだが、われわれは追い求め続けるべきだ。平和を達成するための共通の努力は、個人と国家を信頼と友好で団結させ、人間社会をさらに安全かつ思いやりのあるものにさせることを助ける。
 私は「思いやり」という言葉を熟考した上で使った。長年にわたる慎重な熟考とも言える。
 逆境の中で私が見つけたもっとも大きな喜びは、「思いやり」の価値を学んだことである。たとえ、ちょっとした思いやりであっても、沈んだ心を照らすことができる。思いやりは、人々の人生を変えることができる。

 タイのメラ難民キャンプを最近訪れた際、支援者は「援助疲れ」に対する不安を語っていた。それは「思いやり疲れ」とも言い換えられる。「援助疲れ」は資金の減少という分かりやすい形で現れる。
 難民の要望を満たすために必要なコストは、無関心でいることから生じるコストよりもはるかに高くつくのだろうか。
 私は世界の援助者に対し、保護を求めている人々の要望に応えるよう訴える。
 難民の受け入れ国は、困難な問題に対処するための考慮や実際的な援助を受けて当然だ。

 私たちが究極的に目指すべきは、どこで暮らす人々も自由や平和を享受できる世界をつくりあげることだ。
 安心して眠りに就き、幸せに目覚められる平和な世界をつくるために手を携えよう。
 私がビルマの民主化運動に加わったころ、何かの賞や栄誉を受けることなど考えもしなかった。
 歴史は、私たちが信じる大義に向かって最善を尽くす機会を私たちに与えた。
 ノーベル賞委員会が授与を決めた時、私は自分の自由意思で選んだ道を進むことにさほど孤独でなくなった。
 ノーベル賞委員会やノルウェー国民などの支援が、平和を追求するという私の信念を力づけてくれた。(共同)


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