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zoom RSS 高橋源一郎さんの「教育勅語」現代語訳を読む

<<   作成日時 : 2017/03/18 06:20  

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身体が「使い物にならない」(…?)という感覚は生まれて初めてで困惑している。痛み止めの薬の為だが、「労働情報」で一緒に編集しているMさんの話によれば、米国ではドラッグの一種として痛み止めが飲まれているそうで、若者の間で流行っているらしい。椎間板ヘルニアによる足の痺れで、自宅では自転車を活用しているが危険極まりなく、常に衝突や転倒するという強迫観念(?)に襲われながら乗っている。これが「スリル」なのかもしれないが、その趣味はなく、階段の上り下りなども実に「危険」だ。しかし、やっと薬の注意書(一定期間服用後効き目が発揮)にあったように痛みはなくなった。しかし、手の痺れの方は継続しており、定期的にまるで感電したようになる。とにかくこの痛み止めを飲み続けるべきか悩んでいる。

しかし、アベ暴走に有効な薬などない。一刻も早く退陣させないとこの国全体が壊れるだろう。次々に馬脚を表しているが、労働組合は的確に反撃しているだろうか、悩む。昨日も「働かせ方改革実現会議」なるものが開かれたようだが何らかの行動はあったのだろうか。自分が参加できないだけに苛立ちばかり募る。「労使合意」の問題点では、休日労働がやはり年間720Hから除外されるようだ。

<残業時間>規制に抜け穴…年間上限、休日労働含まず(毎日新聞  3/17)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170317-00000079-mai-soci
 政府は17日の働き方改革実現会議で、残業時間の上限規制に関し「月100時間未満」などとする改革案を提示した。経団連の榊原定征会長と連合の神津里季生会長は受け入れを表明した。ただし政府は、年間上限「720時間」には休日労働が含まれていないことを明らかにした。現在の残業規制を踏まえたものだが、政府が旗を振る長時間労働是正の「抜け穴」とされる恐れもある。
 政府は今後、厚生労働省の労働政策審議会の議論を経て、年内に労働基準法改正案を提出する方針。
 改革案は(1)残業時間は「月45時間、年間360時間以下」を原則とする(2)繁忙期であっても「月100時間未満」「2〜6カ月の月平均がいずれも80時間以下」とする(3)月45時間を超えるのは年6回まで(4)繁忙期を含めても「年720時間」を上回らない−−などとしている。このうち、(2)については休日労働を含んだ規制だが、(1)(3)(4)は休日労働が含まれていない。
 労基法は週1回の休日を義務付けており、「休日労働」は休日以外に残業する「時間外労働」と区別されている。現在の基準は時間外労働だけが対象で「月45時間」「年720時間」などはそれを踏襲。一方、「月100時間未満」などの規制は休日労働も含めた「過労死ライン」に準じて新たに設定したもので、算定する時間に違いがある。
 このため、休日労働を含めた実質の上限は「2〜6カ月の平均80時間」となり、計算上は年960時間まで働かせることが可能。政府の担当者は「休日労働なら35%の割増賃金を払わなければならず、必要以上に休日労働を強いることは考えにくい」と説明している。厚労省の2013年調査では、休日労働している人のいる企業の年平均日数は5.4日、大企業では9.3日だった。
 また、現行では残業時間の上限規制の適用除外(例外)になっている建設業と自動車運転業務について、安倍晋三首相はこの日の会議で「業界の担い手を確保するためにも長年の慣行を破り、規制を適用する方向としたい」と述べ、規制対象に加える方針を示した。政府は業界側の意向を踏まえ、実行計画に猶予期間を盛り込む方針。


ボロボロだが、今日は「教育勅語」を学習したい。あるTwitterで発見した"高橋源一郎さんの「教育勅語」現代語訳"が実に面白かった。これを戦前はみんな暗唱させられていたわけで…実に恐ろしい。なお念のため、なぜか琉球新報に載っていた毎日新聞の記事も添付しておく。朝食後クスリを呑むとまたドラッグ状態になるので、クスリが切れかけている今はまだ頭が機能していて…とにかく、頑張る-。

"高橋源一郎さんの「教育勅語」現代語訳" 作成者:
https://twitter.com/i/moments/841961087700500482
 この前、「方丈記」を現代語に訳したのだが、実は、古典の現代語訳は、個人的に、しょっちゅうやっている。人知れずだが。というのも、普通に古典を読んだり、あるいは、いわゆる「現代語訳」を読んでいてもピンと来ないことが多いからだ。なんか、そういう意味じゃないんじゃないかなあ。そう思える。たとえば、「朕惟フ」と言うと、ふつう「私は思う」と訳す。もちろん間違っていない。でも、なんか違う。「朕」を使えるのは、天皇ただひとり。同時代で、「朕惟フ」を読んだ人は、「私は思う」とは受けとらなかったんじゃないかな。正確だけれど「正しくない」訳、そんな気がする。
 というようなことを、昨晩、ここ何年か連載している「論語」全訳の途中で、思ったわけです。そして、訳している間に、いま話題の「教育勅語」を読んで、やはり同じ感想を持った。意味がよくわからない。なので、一時間ほどかけて、訳してみました。「教育勅語」現代語全訳です。ツイート8回分ほどです

教育勅語@「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」
A「きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです」
B「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」
Cそして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」
D「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」
E「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです
F「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」
G「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上! 明治二十三年十月三十日 天皇」

とまあ、サクっと訳したので、若干間違いあるかもしれませんが、だいたい、いい線いってると思います。自分で読み返して思ったんですが、これ、マジ引くよね……

教育勅語 国民主権と相いれない(琉球新報 2017年3月16日)
http://ryukyushimpo.jp/mainichi/entry-461686.html
 学校法人「森友学園」が運営する幼稚園で園児が唱和し、稲田朋美防衛相らが評価する戦前の教育勅語は戦後、否定された。
 にもかかわらず、それに固執し普遍的な価値があると擁護する言動がおさまらない。教育勅語の何が問題だったか。改めて整理したい。
 明治天皇が「臣民」とされた国民に守るべき徳目を説いたのが教育勅語だ。学校での朗読が強制され、天皇の写真とともにまつられた。
 天皇制支配を確固たるものにする過程で国家神道とともに精神的支柱とされ、国家総動員法を経て軍国主義を推進するテコとなった。
 その核心は次の一節から分かる。
 「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧(ささ)げて皇室国家のためにつくせ」(文部省「全文通釈」より)
 国の非常時には天皇のために命を懸けよ−−という意味だ。天皇を頂点とする国家主義の思想である。
 敗戦後、天皇を「象徴」とする国民主権の新憲法ができ、民主教育に転換する教育基本法が制定された。衆院は勅語の排除、参院は失効確認の決議を採択した。
 教育基本法制定で失効し、決議でそれを確認したことは歴代内閣が受け継いでいる。保守的だった中曽根内閣でも私立高で教育勅語が朗読されていることに遺憾の意を示した。
 こうした経緯があるにもかかわらず稲田氏は国会で「日本は道義国家を目指すべきだという教育勅語の精神は取り戻すべきだ」と答弁した。
 「道義国家」を「高い倫理観で世界中から尊敬」される国と稲田氏は位置づけるが、歴史の教訓を軽視するなら世界の尊敬は得られまい。そもそも「道義国家」ということばは原文にはない。
 戦争への道を後押ししたという「一面的な考え方はしていない」とも述べた。自衛隊を預かる身として勅語が軍国主義に組み込まれた事実をどう考えているのか。
 決議は占領下のことだったなどとして教育勅語を再評価する政治家は過去にもいた。田中角栄、森喜朗両元首相もそうだ。擁護派は「勅語には時代を超えた普遍的な哲学がある」として、親孝行や家族愛などを挙げる。
 しかし、こうした徳目を実行することで「天壌無窮の皇運」(永遠の皇位)を助けよ、と求めているのが教育勅語の本質だ。一部だけを取り出して教育勅語を肯定的にとらえるのは問題をすり替えている。
 家族愛などの徳目は大事だ。しかし教育勅語を持ち出すまでもなく自分のことばで語ればいいことだ。天皇が国民に強制するという教育勅語の構図が、国民主権と相いれないことを再確認する必要がある。



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