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zoom RSS 労働組合から「旗」が消えた日はいつ頃だったか

<<   作成日時 : 2017/04/14 06:38   >>

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どうでも良い話だが、個人的には「旗」が好きになれない。4/15に予定されている「最低賃金を1500円に!デモ」について、エキタスがのTwitterには<今回のデモでは、今までご遠慮頂いていた、労働組合の旗や幟の持ち込みを解禁します。労働運動の中での組合の役割は、非常に大きなものです。厳しさを増す社会情勢の中で、日々課題に取り組む組合の力は不可欠です。市民と共により多くの組合員の方に参加して頂くため、今回の決定に至りました>とあった。反原発行動で、労働組合の旗が禁止とされた際に大ブーイングがあったことを想起する。労組の旗解禁の決定を受けて東部労組のTwitterには<4月15日にエキタスが新宿で行う最低賃金上げろデモに参加することを東京東部労組の執行委員会で決定した。すべての労働組合は旗を高く掲げて参加しよう!>と書き込まれた。しかし、労組にとって「旗」はどこまで重要なのだろうか。

同じくエキタスのTwitterに<今回のデモは労働組合がたくさん参加してくれます。組合のデモといえば「幟」。エキタスも組合の皆さんに対抗して幟を掲げます。組合の幟には団体名が書いてあるのが普通ですが、エキタスのは、ずばり「要求のみ」。道ゆく人に何のデモかわかって貰いたくて製作しました!>とあり、苦笑。かつて労働組合のデモに「のぼり=桃太郎旗」はほとんどなかった。「目印」や「象徴」としての「旗」と、要求を書いたプラカードがデモの必需品だった。昔話だが、70〜80年代のデモに参加した際、大きな旗を持つのは力仕事で、300円程度だったと思うが「旗持ち手当」が支給された。旗竿も現在もあるアルミボールはまだ高価で少なく、竹竿が主流で持ち運びも大変であり、あっという間に桃太郎旗が主流になった。竿もプラスチック製から、どんどん小さくなっていった。省力化と持ち運びなどの使い勝手、風が無くても目印になる、カラフルなアピール力などが、「旗」を「のぼり」に変えてしまった。

もう一点、「旗」は「神聖」なものであった。軍旗に典型だが奪われては決してならず、負けは「旗を巻く」と呼ばれた。今も行われる「旗開き」が端的だが、大きな旗を掲げるということは労働組合の戦闘性を示している。したがって東部労組のデモでは今も桃太郎旗は少なく、旧来の旗が多数翻っている。逆に連合系の労組行動に大きな旗はほとんど見当たらない。使うのは、大会の時ぐらいで普段は大事に仕舞われている。なお、さすがにその際の旗は伝統的に赤旗が多い。連合はそんな赤旗の一掃をはかり、組合旗を青にした。各産別も、カラフルな桃太郎旗を自分たちの色とし、労働組合から「血染めの赤」が消えていった。

50年代頃までは、戦前同様に祝祭日には個人の家でも日の丸を掲げていた。さすがにほとんど見なくなったが、官公庁だけが「強制」の先頭を走っている。単なる目印がシンボルから神格化され、旗の下で死ぬことまで強制される。したがって組合旗にしても個人的に「旗」は嫌いだ。余談だが、森友学園の万国旗から中国と韓国の旗は除かれていたという。もちろん朝鮮民主主義人民共和国の旗は初めから含まれていないだろう。許しがたいヘイトであり、重大な差別だ。

労働運動をめぐる文化もどんどん変っていく。数年前にはあの紙の統一プラカードは考えもつかなかった。球場などでの応援スタイルが発端なのかもしれないが、「絵」として綺麗のわりに費用対効果はよくわからない。みんなが同様の主張を掲げる趣旨は理解するが、本来は個々人それぞれの主張があっても良いはずであり、欧米などで個々人が勝手に持ち込むプラカードにこそ生きた運動が見えると思っている。かつてのメーデーはデモが必ずあり、そこには各労組が創意工夫をこらしたデコレーションやプラカード等をもちこんだ。メーデー実行委員会にはデコレーションの採点担当がいて、優秀作品は表彰されたものだ。あの飾り付け努力や準備作業もメーデーの楽しみの一つだったが、省力化でイベント業者に丸投げし始めたときに「終わった」と感じたものだ。今や、機関紙・HPどころか大会議案書・運動方針までが外注・丸投げされているという。

「労働組合・労働運動とは?」で苦吟している。竹信三枝子さんの『正社員消滅』(朝日新書)が話題になっているが、そうなると「大企業男性正社員クラブ」たる連合や多くの労組も消滅することになる。そんな疑問を呈したら、「自業自得」と言われた…そうかもしれない。なお、この『正社員消滅』については、渡辺照子さんが素晴らしい書評をレイバーネットで書かれていた。それを添付し今週も終わる。週末も鎮痛剤との格闘が続く(苦笑)。

社会そのものが「ブラック化」していた!〜竹信三恵子著『正社員消滅』を読んで(レイバーネット 派遣労働者 渡辺照子 2017.3.31)
http://www.labornetjp.org/news/2017/0331hon
 安倍首相は「非正規という言葉をなくそう」と演説した。大手人材会社の会長、竹中平蔵氏は「正社員をなくせばいい」と発言した。両者は正反対のようで実は同じことを言っている。「正規・非正規」は二者間での相対的なもの。全労働者が非正規になればその二者は存在しない。労働者の生殺与奪権を掌握するキーパーソンたちは、労働者からあらゆる権利を剥ぎ取る点で一致している。その現実をつまびらかにしたのが本書だ。
 店長がパートの大手スーパー、公務員の非常勤化、正社員がいない職場での非正規同士のつぶし合い、過労自殺まで生むブラックバイト、正社員に課される人権侵害の研修、人材会社に侵食されるハローワーク、ロックアウト(締め出し)解雇、自営業のホスト、AI(人工知能)に便乗した個人事業主化、等々。一過性で報道される記事では断片的すぎてわからない。専門的に細分化された研究論文は一般的に流通していない。だが、本書は具体的事例と共にその構造、背景をも示してくれる。当事者、ユニオンの専従、研究者等々の言動を織り交ぜながら全体像を展開してくれる。だから、雇用状況全般を把握するにはうってつけなのだ。
 安倍政権が繰り出すまやかしの言葉を喝破する様が見事だ。「『同一労働同一賃金』ではなく、同一義務同一賃金だ」。「規制改革会議は『解雇しやすさ相談会』」。限定正社員は「解雇のしやすい正社員」。「雇用法制の人権条項を『既得権益』と名づけてドリルで穴をあける正社員消滅作戦」。本質を明示する鋭さは最後まで続く。
 読むと感じる。社会そのものが「ブラック化」したのだと。私たちのほとんどが働くことでしか生きる術はない労働者だ。その労働者を、政府と企業はコストとしてしかとらえていないのだと。会社がブラックなら会社を辞めればよいかもしれないが、自分が生まれて育った国、生活する社会である場合、なかなかそうはいかない。その危機的状況に敏感になるべきだと著者は警鐘を鳴らしている。「会社も大変だからわがままはいけない」という我慢、「生存権などのんきなことは言えない」というわけしりの態度、「自分だけは大丈夫」という自信、そんな錯誤を諌めているのだ。
 しかし、それだけに終わらない。生き延びる策を示し、読者を置き去りにしない。自分の法律顧問を持つこと、働き手のネットワークをつくること、働き手目線の改革を提唱すること、等々、具体的で希望の持てる方法を掲げている。
 正しく現実をみすえることで危機を打開する、「正社員消滅」というショッキングなタイトルはそれを教えてくれるのだ。
*『正社員消滅』(朝日新書・2017年3月・竹信三恵子著・821円)


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内 容 ニックネーム/日時
労働者は確かにコストだろうが、同時にマーケットでもある。コストとしか捉えない総本家、アメリカが陥っている事態を考えれば明らかだ。生産性低下著しい日本の資本家がもう少し賢くなって欲しい。
mash
2017/04/16 00:11

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