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zoom RSS 日本は朝鮮侵略・植民地化を反省も謝罪もしていない

<<   作成日時 : 2018/02/12 07:17   >>

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紀元節を認めないということは振替休日も認めない(笑)ということになるので今日も綴るが、テレビで三浦瑠麗という国際政治学者が11日のフジテレビ系ワイドナショーで「大阪には北朝鮮のテロリストが大量に潜んでるんですよ」と発言したことには恐怖感を覚えた。このように在日をみているからヘイトは凄まじいし、公安調査庁をはじめ為政者は常に監視しているのだろう。電波でここまで発言したからにはぜひとも、その根拠を明らかにして欲しいし、訂正すべきだ。なお、実際に語られた文言は以下のものだという。

>三浦瑠璃「実際に戦争が起きたら、テロリストが、仮に金正恩が殺されても、スリーパーセルと言われて、もし主導者が死んだって判ったら、もう一切、外部との連絡を断って、都市で動き始める、スリーパーセルというのが活動されると言われているんですよ」
東野幸治「普段眠っている、暗殺部隊みたいなのが?」
三浦「テロリスト分子がいるわけですよ、で、それがソウルでも東京でも、もちろん大阪でも、いま結構大阪ヤバイと言われていて」
松本人志「え!?潜んでるってことですか?」
三浦「潜んでます! というのは、いざという時に、最後のバックアッププランですよ」


多くの方がSNSで強く批判している。ここでは嶋ア量(弁護士)さんがリツイートした山崎雅弘のTwitterだけを掲げておく。

>関東大震災の朝鮮人虐殺は「朝鮮人が井戸に毒を入れている・暴動を起こしている」等のデマで引き起こされ、日中戦争では「軍服を脱いだ支那兵が市民に紛れて便衣兵として日本軍に敵対している」という疑心暗鬼が、南京などで大勢の市民虐殺を引き起こした。猜疑心が人を殺す。上海から南京に進撃する過程で、日本軍は中国人の子どもや老婆も殺害したが、その理由は「間諜(スパイ)として敵に日本軍の情報を漏らす可能性がある」というもの。1937年10月21日付の、第10軍参謀長から各部隊への通達で「いささかも仮借することなく断乎たる処置(殺害)を執るべし」と命じていた。

この日本という国の恐るべき姿に慄然とし、どうすれば正しい理性になるのか、深く悩む。労働組合こそは「民主主義の学校」であり、労組法5条4項では「何人も、いかなる場合においても、人種、宗教、性別、門地又は身分によって組合員たる資格を奪われないこと」と宣言し、人権を最も重視すべき組織とされているが、そこでも堂々とと朝鮮民主主義人民共和国への敵視が語られるし、在日や外国人への支援は消極的だ。明治以降の侵略・植民地化を何ら反省せず、未だに優位に立とうとしている。

独在住の熊谷徹さんの2/10付けTwitterも添付する。ドイツと日本の働き方の違いは、ここでも明らかになる。

>ドイツ連邦政府が2016年12月にまとめた資料によると、1952年のルクセンブルク合意から64年間にドイツ政府が支払った補償の総額は、745億1300万ユーロ(約9兆6867億円)に達する。その支払いは、今も続いている。2016年の1年間だけでも、ドイツ政府は10億9100万ユーロ(1418億円)の補償金を支払った。
連邦財務省は、「ナチスの犯罪に関する補償金の支払いは、被害者が生きている限り続く」と説明している。
ドイツ政府が敗戦から70年以上経った今も、経済成長で得た国富、勤労者が納めた税金の一部を、補償に回し続けている姿勢は、注目に値する。
ただし、ユダヤ人らが、強制収容所で味わった恐怖や苦しみ、親族を殺された悲しみは、決して金で償えるものではない。
70年の歳月が過ぎても、憎しみを和らげるのは、容易なことではない。
ドイツ政府は、金による償いが不可能であることは認めながらも、迫害のために健康を損なったり、トラウマ(精神的な傷)に苦しんだりしている人に対して、経済的な支援を通じて謝罪し、生活の負担を少しでも軽くしようとしているのだ。
したがってドイツ政府も、金銭による補償については、あまり対外的に強調しない。むしろこの国が過去と対決し、被害者たちからの信頼を回復しようとする中で重視しているのは、政治家の態度、歴史教育、ホロコーストに加担した者の刑事訴追など、非金銭的な面だ。


個人的には、総聯をはじめとする在日の方々や共和国の考え方に多くを学んでいる。今日は日刊イオに掲げられた以下の衝撃的なレポートを読んで終わる。

メルバンさんを助けたい(日刊イオ 月刊イオがおくる日刊編集後記 2018-02-10)
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/eb20dd64820cb7a78e93a893d5be65b6
 本来、土曜日は日刊イオを更新する日ではありませんが、きのう見聞きしたことをどこかで発信したかったので、とりあえずはここで書いてみることにしました。
 昨日、東京入国管理局(品川)へ行きました。下の記事をネットで見つけてショックを受けたからです。
●新婚女性を拘束、吐血・痙攣しても薬を与えず、口封じの脅迫―東京入管の難民虐待が酷すぎる
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20180207-00081337/
 この記事を読んでもらうのが一番早いと思うので、できれば多くの人に直接読んで知ってもらいたいのですが、念のために内容を書くと、幼い頃に渡日して以降、ずっと日本で育ったクルド人のメルバンさんという女性が、なんの理由もなしに突然、東京入管に収容されてしまったという事件です。収容されたのは去年の11月27日。現在22歳のかのじょは新婚で、結婚から半年も経たないうちに夫と引き離されてしまいました。
 あまりにも信じられないような記事の内容にいても立ってもいられなくなり、また、この記事を知るきっかけとなったツイート文の「入管はメディアからのプレッシャーに弱いのです」という言葉に引っ張られ(https://twitter.com/reishiva/status/961409454464892928)、メディアに関わる人間として、なにかしないといけない、なにかできるのではと思い立ちました。
 まずは記事を書いた志葉玲さんという方に連絡をしてみました。聞くと、だれでも面会が可能だといいます。
 急でしたが編集長に行きたい旨を伝えると、「在留管理制度は在日朝鮮人とも関係の深い内容だからね。自分も2011年に難民問題を取材して、4回にわたって連載したよ」とのこと。さっそく探して読んでみて、日本国内でこんなに深刻な人権蹂躙が横行しているのに、私はなにも知らなかった、いや知ろうともしなかったな…と打ちのめされました。
 編集長は、志葉さんの記事でツイートを引用されていた支援者の織田朝日さんという方とも取材を通して面識があり、連絡先を教えてくれました。7年前の番号だから通じるかな…と思いつつ、駅に向かいながら電話をしてみると出たのはご本人。なにかアドバイスをもらいたく、「志葉さんの記事を読んでとても気になったからメルバンさんと面会したい」と伝えると、まさにいま自分も入管へ向かっているとお返事が! 一緒に面会できることになりました。物事が一気に進み、ありがたく感じました。
 前置きが長くなりました。
 面会の申請を済ませて順番を待っている間に、織田さんが色々なことをかいつまんで教えてくれました。
 まず収容所に入れられている外国人について。現在、東京入管には約600人の外国人が収容されているそうです。いわゆる難民が大勢収容されているわけですが、日本は1981年に難民を受け入れる国際条約に加入しています。
 「収容されるのかどうか、仮放免になるのかどうか、特別在留許可がおりるのかどうか…など、すべてにおいて基準がなく、入管側の恣意的な判断で決まる。そして理由を明かさない。そのことも難民たちを非常に不安にさせている」(イオ2011年4月号「ルポ・抑圧され排除される難民たちA」より)とあるように、難民たちは常に不安を抱きながら生活しています。
 そもそもの問題として、「難民」とは、さまざまな理由で迫害を受け(それも政治や宗教という自分たちには原因のないことがほとんど)、それまで暮らしていた国から逃げてきた人たち。ただでさえ苛酷な状況に置かれた社会的弱者を、なぜ「収容」するのでしょうか。
※難民については、こちらに詳しく書いてあります→「難民にまつわる8つのよくある質問」(https://www.refugee.or.jp/jar/report/2016/04/15-0000.shtml
 また、収容所内での処遇にもやはり大変な問題があると聞きました。メルバンさんは女性なので直接的な暴力はないらしいですが(しかし上の記事にもあるように、パニック障害を緩和させるためにいつも服用している薬ですら与えられず、身体が痙攣しても血を吐いても放置されている)、男性の場合はちょっとしたことで普通に職員から暴行されるといいます。
 実際に織田さんも、収容されている知人男性と面会した時に、顔にひどい痣があるのを目撃したと話していました。「その人は顔から床に叩きつけられて、数人がかりで腕をねじり上げられ、『息ができない』と言ってもしばらくやめてもらえなかったみたいです。職員が制圧しにくる時って、手袋をきゅっとはめ始めるみたいで、それを見ると『来る』と思うんだそうです」―。言葉が出ませんでした。「ちょっとしたこと」というのも、朝の点呼を拒否するという程度の、本当にちょっとしたことなのだそうです。
 「朝の点呼というのは、地べたに座らせられるみたいなんですね。それで全員の点呼が終わるまでじっとしていないといけない。感情を無にして、なにも考えないようにすればどうってことないんでしょうが、悪いことをしていないのに刑務所のような処遇を受けて、屈辱的に感じる人ももちろんいますよね。『納得いかない、こんなのおかしい』と思い始めると気持ちが狂っちゃう。それでちょっと逆らったくらいのものですよ」。拷問と一緒だな、と思いました。
 「刑務所に5年入っていた日系の外国人が入管に来て自殺した。刑務所よりもひどい。『ここは日本だよ。日本のやり方でやる。国に帰らせる』といつも職員が脅迫する。気の弱い人には大きなストレスになる。そして自殺する」(イオ2011年3月号「ルポ・抑圧され排除される難民たち@」より)ともあります。
 他にも理不尽な話をたくさん聞きました。ある男性が、収容されている妻に生花を差し入れてあげたくても許可されず、仕方なく折り紙を差し入れたことがありました。妻はその折り紙で立体的な花を作って夫に渡そうとしたのですが、これも職員によって却下されました。理由を聞いても答えない、ただただ「ダメ」だと言うのです。そのような小さいことはいくらでもあると織田さんは教えてくれました。
 「なんでそんないじめのようなことをするんですか?」と織田さんに聞くと、「どうしてだろうと私も思うけど、昔からそうだったから。中には楽しんでやっている人もいますよ。外から見えないから、いくらでも好きなことができるし」と悲しくなる言葉が返ってきました。
 入管で働いている人たちがなにを考えているのか知りたくて、織田さんはよく職員個人に話しかけるそうです。「色々話してみて思うのは、考えることをしない人が多い感じはします。『これはおかしいんじゃないか』と疑問に思わない。『仕事なので、ルールなので、法律なので』の一点張り。ルールってなんのルールですか?と聞き返すとなにも答えられないんですよね」。そんな人たちが、しかし人間を管理する立場にいる。聞けば聞くほど、もどかしく思います。
 織田さんが難民の支援に携わるようになったきっかけを聞いていると、面会の順番が回ってきました。私たちの前にメルバンさんと話していたのは、面会ボランティアの佐藤さん。「面会ボランティア」という存在も初めて知りました。
 佐藤さんにあいさつし面会室へ向かうと、ガラスの向こうにメルバンさんが現れました。目の下には深いクマがあり、かのじょが安眠できていないことを物語っていました。メルバンさんは織田さんに収容所内での近況を報告したあと、私にも色々と話をしてくれました。
 「私も前は友達の面会で、今あなたが座っている方に来ていました。その時も友達が心配だったけど、自分が収容されてみて、この辛さは中に入ってみないと分からないと感じました。本当に、中に入れば分かる。特に夜中が本当に辛い。家族は大丈夫かな、私はどうなるんだろうといつも心配になる。弟も大きくなってきていて、20歳になったら私のように収容されるのかもと不安でたまらない。弟は日本で生まれ育って、ずっと日本の学校に通って、悪いこともしていないのに、ビザがないからどうなるか分からない」
 20歳になる前は収容されない、日本で生まれ育ってもビザがもらえない、私はあまりにも知識不足で、メルバンさんの話をどうにか追うのに必死でした。
 「それでも今、ISSJ(※)の人が私を出してくれようとしている。私が勉強して通訳の仕事ができるようになったらビザもおりると言ってくれた。だから私は今、それを実現させようと決心している。トルコ語とクルド語と日本語を使って通訳の仕事がしたい。ビザもほしいけど、困っている人たちを助けたいから。日本にいるクルド人は、トルコ語も日本語も分からない人が多い。クルド語の通訳ができたら、助けられる人がたくさんいると思う。もし私がここを出られたら、次に入管に来る時は困っている人たちを助けにきます。日本で生まれたけどビザのない子どもたちのために、なんの罪もないんです、そんな子たちを助けるために頑張りたい」
 面会時間の30分はあっという間に過ぎました。私は言いたいことがたくさんありましたが、「また来ます、私の周りで伝えられる人に、できるだけたくさん伝えます」と約束して部屋を出ました(織田さんは子どものお迎えがあるため先に退室していました)。そうして今、この記事を書いています。
 織田さんは、難民支援を始めた2004年当初から、「なにも変わらないんだろうな」という絶望感を抱いていたといいます。「実際どうですか? 変わらないどころか、その時よりもっと悪くなってる」。
 イオの該当記事にも、「イラン人のジャマルさん(42)は、『私は91年に日本に来たが、その間、日本の入管行政はまったく改善されていない。収容所で人が死んでも、仮放免者が生活できなくて苦しんでいても、まったく責任を取ろうとせず、そんな状態を放置したままだ。闘わなければ何も変わらず、自分自身を守ることはできない』と訴える」とあります。そして、これが掲載されたのは2011年のこと。現状の変わらなさに気が遠くなります。
 しかし、織田さんは「でもそろそろなにかしないとね」と気を引き締めるように言っていました。なにをしても効果がないのではないかという絶望感を味わいながらも、14年間、支援をやめずに続けていることは本当にすごいことだと思います。
 「いろんな家族がこの中(収容所)にいて、いろんな問題があるので、問題がありすぎて混乱しちゃうので、志葉さんも今、メルバンさんに絞って発信しているのだと思います。メルバンさんよりひどい処遇を受けている人もたくさんいます」と、織田さんは話していました。
 そう、可視化されていない問題、声を上げられない人が、まだまだ大勢いるのだと思うと眩暈がします。ただひたすらにこの問題を拡散して、世論を喚起しないといけないのだと感じました。
 「入管に変化をもたらしたのは、間違いなく当事者である外国人とその支援者たちの闘いの結果である」(イオ2011年6月号「ルポ・抑圧され排除される難民たちC」より)と、わずかではありますが処遇が改善された例もあります。
 織田さんが所属しているSYI(収容者友人有志一同)という団体は、メルバンさんを早急に解放するよう、FAXや電話で入管に訴える運動を地道に行っています。私も以下に番号を載せますが、一人でも多くの行動につながれば幸いです。
東京入管:FAX(03-5796-7125)、電話(03-5796-7111)

 ただ一つ問題は、この文章がとんでもなく長くなってしまったこと。伝えたいことはたくさんありますが、内容が長すぎて逆に面倒くさく感じられてしまったら…と心配にもなります。
 問題意識を持てるか持てないかの違いは、どこまで自分と引き寄せて考えられるかというところにあるんじゃないかなと思います。私は去年、愛知県にあるフィリピン人学校を取材したことが大きかったです。屈託のない笑顔を向けてくれた子どもたちの中にも、日本での立場が不安定な子がいます。今回の事件は、あの子どもたちの身にも起こりうることなのかなと考えると、とても恐ろしくて我慢できませんでした。
 個人的にこのフィリピン人学校の取材も、学ぶこと、考えさせられることが本当に多くて、取材後、人生が変わるような出会いをしたなと思ったものです(その学校のことも日刊イオで書きました→http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/c80ffca2df6d563c2c673f25276fbd7b)。
 「人生が変わるような」というのは自分でもちょっと大げさな表現かなと思い直したりもしたのですが、この取材をしていなかったら、もしかしたら今回のこの難民のニュースにも関心が向かなかったかもしれないと思うと、やっぱりとても大切な経験だったなと。
 これを機に、難民について少しずつ勉強して、行動・発信を続けられる人になりたいと思いました。


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