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zoom RSS 炭鉱のカナリアはもう死に続けている、と上西さん

<<   作成日時 : 2018/06/12 06:11   >>

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昨日は労働弁護団の緊急院内集会に参加したかったが、諸会議等あり断念。多くの方同様に相次ぐ厳しい悲痛な報道に悩み、苛立つ。早朝からNETを見ても明るい記事はまったくと言って良いほど無い! 近隣の地元である中野区長選挙で現職区長が落選したことぐらいが朗報か…。よくもあのような区長を連合はずっと推薦し続けていたとは思うが、これも自己反省になる。ただ、新潟県知事選で負けたのは共産党が入っていたからで、中野で勝ったのは入っていなかったからだ…との声が出てくることには疑義。もちろん新潟という地方性もあるのだろうが、NET効果を含めより検証しなければならない。

やるべき作業が山積していることに苛立ちつつ、上西充子さんがTwitterに早朝(深夜)から叩き続けている声にも励まされ努力を続けたい。上西さんは、下記の通りメディアの責任について話されているが、これは「本来果たすべき役割を果た」していない労働組合にも共通する批判だ。最後のフレーズにあった「炭鉱のカナリアはもう、死に続けている。国会審議をつぶさに見ていれば、それはもう、明らかになっている」との言葉がとにかく痛い。連合に加盟している東京ユニオンの昨日のTwitterには<最近の働き方改革関連法案をめぐる周辺の動きをみていると誰と誰とは言いませんが裏で合意済み?と感じてしまう。しかもそう感じているのは私だけではないようで…。まぁ憶測ですがね>とあった。…確かに集団的労使関係は危機に瀕しているが、これを奪われたら、まさに日本の労働者はドレイになっていく。経営者にとって残業代を払わないで済む「働き方」ほど望ましいものはないのだから。

>上西充子さんの6/11連続Twitterより
 院内集会でメディアの責任について語ったのは次の通り。
 高プロが問題だらけであるにもかかわらず、あまりにひどい国会審議の中でそれが力ずくで通されようとしていることを報じているメディアが気骨のあるところに限られている。
 (選挙報道のように) 恐らくは、採決されてから高プロについては多くの問題がメディアで報じられるのだろう。長時間労働に歯止めがないことや、過労死しても労働時間の客観的な証明が困難であるために労災認定がされないだろうこと(それはすなわち、残された家族の経済的な困窮にもつながる)、
 柔軟な働き方ではなく柔軟な働かせ方であることなど。「そんなことなら、何でもっと早く言ってくれなかったの?」ということになる。
 これは、法施行後、ただちにすべての労働者に影響が降りかかってくる。高プロができて、一方で複雑で罰則もある上限規制ができれば、経営者は、面倒な上限規制に従うより、自由度が高い高プロや裁量労働制を使いたがるだろう。使えないなら、対象業務を広げろとか、年収要件を下げろとかの声が強くなって、あっという間に緩和されていくだろう。そういう問題だということが知らされないまま法改正されようとしている。
 政府の嘘の謳い文句と、その裏に隠された本音に大きな乖離があることが露呈してきているにもかかわらず、それをはっきり報じないということを続けてきたら、取り返しがつかない事態になる。
 報道に責任、大人の責任が問われている。そんなことを話した。

 法施行後にただちにさらなる高プロの拡充に向けた次の手がとられていくだろう、そのための付帯決議が採決の混乱の中で行われた、という山井議員の指摘とともに重く受け止めるべきは、石橋議員の指摘。石橋議員は現在、「柔軟な働き方」というなら、高プロ対象者には時間指定をしないことを法に明記せよ、と迫っている。しかし加藤大臣は明記するとは言わない。省令に書くことについてさえ、明言しない。
 これは実に大きな問題なのだ。
 加藤大臣は、省令に書き込む方向で考えていきたい、といった言い方はするが、省令に書き込むとは言わない。明言しない、しかし期待を持たせる、という姿勢で加藤大臣の答弁は一貫している。それはいわば、クレーマー対策だ。
 「ご意見、承りました」「善処いたします」「検討させていただきます」等、そこには、出来るだけ摩擦なくかわす、という姿勢だけがあり、本気でその声を聞いて対処しようという姿勢はない。
 もともと「柔軟な働き方」というのは嘘の謳い文句だから、その嘘の謳い文句を手掛かりに、時間指定しないことを法律に書き込めと求める野党には、本気で対応する気などないのだ。
 国会審議は言葉を手掛かりに行われる。報道も、言葉を手掛かりに報じる。
 しかしその言葉が、単に野党の指摘をかわすための言葉になっており、しかもそれが、「お答えできない」のような簡潔で分かりやすい言葉ではない。対応するかのような言葉でありつつ内実は対応する気はない。そういう中での報道の役割は何か。
 報じても反響が薄いのは、ある意味、当たり前なのだ。反響を起こさせないための手を政府は慎重に打っているのだから。それでも、世間の疑惑の目を注がれないようにする政府の策略も含めて問題を暴き、世論喚起していくのが報道の役割ではないのか。
 もちろんそれは、報道だけの役割ではない。院内集会で自分で語ったように、大人全体の役割だ。
 私もやる。けれど、それぞれの組織がそれぞれ、本来果たすべき役割を果たすというところからすれば、報道 機関が大本営発表を垂れ流す機関であってはならない。
 炭鉱のカナリアはもう、死に続けている。
 国会審議をつぶさに見ていれば、それはもう、明らかになっている。
 けれど、それが報じられなければ、炭鉱の外にいる人たちは、平穏に暮らし続ける。爆発や崩壊が起きて、初めて外の人は問題に気づく。
 今はそういう状況だ。

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