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zoom RSS 「宇宙の渚」から見比べる自然と人間の目映い光

<<   作成日時 : 2011/09/23 07:21   >>

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強い台風は高い海水温によるものだという。高濃度の汚染水が流れたから海が怒っている、とは言わないが、どうしても人類の愚行に対する「地球の怒り」が感じられる。しかしその一方、マスコミや識者といわれる方の論調を目にすると、当然な「怒り」に対する「冷笑」を感じる。「世論」なるものがどういうものかよく解らないが、さまざまな事象に対する反応や対応の「大きな違い」が強く現れているのではないか。沖縄への基地集中の是非はもちろんだが、先日の9月19日の6万人集会への報道・対応・反応は、決定的だった。読売・日経の冷ややかなベタ記事を先頭に、「無視」や、さらには「愚かな脱原発論者」と「罵倒」する人たちと、久方ぶりのすごい取り組みに「感動」し、高く「評価」した人たちの違いは、実は凄まじく大きな「違い」ではないか。

45年前、高校の文化祭で「ベトナム戦争反対」を展示した。ベトナム反戦の盛り上がりから大学紛争へと拡がっていく過程だった。わがクラスの展示に対し、別なクラスの生徒で親が外交官だという奴が「わかっていない」と鼻先で冷笑したことを思い出す。9.19には、ベトナム反戦にめざめ学園紛争に飛び込んでいった団塊の世代が多く参加していた。どのような人生を過ごしてきたか千差万別だっただろうが、あの時代の思いを反省を込めて参加した方も多かったと思う。もしかするとその前日にNHKが放映した映像にも触発されたかもしれない。北海道新聞が、素晴らしいコラムを掲げていたので紹介したい。雷の光から始まり、オーロラなど「自然の脅威的な輝き」と人間という存在とその行為に考え込まされた番組だった。普段、NHKを賞めることは滅多にないが、NHKが初めて開発した超高感度カメラのおかげで人類は初めてその光景を目にできた。

>「渚にて」(卓上四季 2011・9・21)
 海辺だけではなくて、宇宙にも「渚(なぎさ)」があるそうだ。連休中の日曜日にNHKが放送した国際宇宙ステーション(ISS)からの生中継で知った▼地上数十キロから数百キロの高さ。青空が漆黒の闇へと溶け込む高度域を番組では「宇宙の渚」と呼んでいた。そこでは、オーロラや放電閃光など地球と宇宙がさまざまな物理現象を交わしている。ISS滞在中の宇宙飛行士古川聡さんが撮影した超高感度カメラの映像は見応えがあった▼宇宙から見て「渚の底」にある夜の日本列島は、地図の形そのままにまばゆい光で縁取られていた。やはり宇宙に長期滞在した宇宙飛行士若田光一さんは、地球の夜景から「いかに人間が大量の電気エネルギーを使っているかが分かる」と語っていた▼英国人作家ネビル・シュートのSF小説「渚にて」(1957年)は核戦争でわずかに生き残った原子力潜水艦の乗組員の苦悩を描く。冷戦は終わっても、地上にはなお大量の核兵器が残り、原発事故におびえる日々がある。海中ではなく、宇宙にいる間に故郷を喪失する宇宙飛行士の物語も絵空事とは言い切れないだろう▼月曜日に作家大江健三郎さんらの呼びかけで開かれた脱原発集会は、約6万人(主催者発表)の参加者が東京・明治公園を埋めた▼上空ヘリが撮した人の波は、「渚の底」の暮らしを変えていく大きなうねりのように見える。


このコラムに書かれていた通り、日本列島の姿で、大都市の目映いばかりの輝きにはあらためて驚かされた。しかし、その一方日本海に点々と瞬いている光がイカ釣り船の灯りであることにも驚かされた。大都市の光よりも実は強烈な生活感を感じた光だった。そして被災地が実に暗く見えたのは思いすぎだろうか。このように光り輝く日本列島になった歴史は、地球の歴史の中では一瞬かもしれない。しかし朝鮮戦争とベトナム特需のおかげで、現在の日本は光り輝くようになったのも事実だ。そして、その「戦争」によってどれだけ多くの命が奪われ、今なお苦しみ続けているか、その痛みを感じることができるか、できないか、自分の人生の岐路・選択もそこにあった。今、原発被害への反応や対応にも共通する「違い」がある。東京新聞のコラムも掲げておく。

「筆洗}(2011年9月20日)
 福島第一原発の事故で、亡くなった人は一人もいないじゃないか−。原発推進派には、こんな発言をする人もいる。慣れない避難所生活の中、持病を悪化させて亡くなったお年寄りや、将来を悲観して自らの命を絶った農家や酪農家の姿は見えないのだろうか▼そんなことを考えている時、哲学者である内山節さんの近著『文明の災禍』を読んだ。原発事故が奪ったのは住民の未来の時間であるという。「人間の営みが未来の時間を破壊した。日本では、おそらくはじめて」。その思想の射程の深さに共感した▼殺人は被害者の未来の時間を破壊する。原発の事故は地域の未来の時間を丸ごと破壊する。「未来の時間を破壊することが平気な社会、それは恐怖に満ちた社会である」という哲学者の問い掛けは重い▼未来の時間を奪われた土地は「死の町」そのものである。前経済産業相の発言も長期間、人が住むことができない福島の厳しい現実を直視する契機になれば、意味があったのかもしれない▼きのうも全国で脱原発を求める行動があった。作家の大江健三郎さんらの呼び掛けで東京で開かれた集会には、過去最大の六万人が参加した。うねるようなにぎやかな人の流れが、ゆっくりと繁華街を通りすぎる▼先頭を歩いたのは、福島の人たちだった。二度と私たちの未来を奪わないで。そんな心の叫びが聞こえてきた。


もちろん簡単に二者択一できるような問題ではない。しかし、今日の国連では一言も脱原発の流れに触れない、そんな「痛み」をどうしても理解できない人たちが、現在の日本の「政治」を担っていることを私たちはどう考えればいいのだろう。そしてどうすればいいのだろう。

>原発、来夏までに再稼働、新規は困難とも…首相(読売新聞 9月21日)
 野田首相が21日付の米紙ウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューで、定期検査で停止中の原子力発電所について、来年夏までに再稼働させる方針を示したことが明らかになった。首相が原発再稼働の目標時期を明言したのは初めて。
 首相は、「来年の春以降、夏に向けて再稼働できるものは再稼働していかないと、電力不足になれば日本経済の足を引っ張ることになる」と語った。電力需給の面から来年の再稼働は必要ないとの意見もあることについては「それはあり得ない」と否定した。
 再稼働の条件に関しては、「ストレステスト(耐性検査)を含め、より安全性を確保するチェックをしながら、当然、原発立地県、地域の理解を得るのが大前提だ」と強調した。新規の原発建設は「基本的には困難だ」との見方を示す一方、「既に着工し、九十数%(出来上がっている)というところもあり、個々の事案に即して対応していく」と語った。


被爆国でありながら、ここまでの核被害を人類と地球に与えてしまった反省の上にこそ、まず立つべきだと思うのだが…他者の「痛み」を理解できない人たちは、どうやっても理解できないのだろうか。琉球新報の9/18社説は、こう批判している。

「普天間閣僚会合 大臣は官僚のロボットか」(琉球新報社説 2011年9月18日)
 米国にへつらう外務、防衛両省が決めた方針を無批判に追認し、自らの頭で考えようとしない。野田政権は、鳩山、菅両内閣同様、2009年衆院選で民主党が公約した「政治家主導の政治」とは正反対の方向に突き進んでいる。藤村修官房長官、玄葉光一郎外相、一川保夫防衛相、川端達夫沖縄担当相、安住淳財務相が、沖縄政策をめぐる関係閣僚会合で、米軍普天間飛行場を名護市辺野古に移設する日米合意の順守を確認したからだ。
 昨年まで「沖縄の状況から県内移設は無理」などと発言していた斎藤勁(つよし)官房副長官も「日米合意が前提」と記者会見で述べた。民主党には官僚をコントロールし米国と渡り合うだけの気骨と力量のある政治家はいないのか。
 安全保障政策に関しては、歴代の外相、防衛相(防衛庁長官)の大半が、あたかも省庁の振り付け通りに動くロボットだった。思考を停止し全てを官僚任せにした結果、沖縄への基地一極集中という構造的差別を助長した。問題が起きたときに責任を負うのは政治家であり、糸を引く役人ではない。言いなりになるのは愚の骨頂だ。
 在沖米軍施設・区域の総面積は2万3293ヘクタール。人口が集中する沖縄本島は18%余が軍用地だ。約480ヘクタールの普天間飛行場は県内の基地面積の約2%にすぎない。閣僚たちは「普天間」を県外に移せば沖縄の基地の大部分がなくなると勘違いしているのではないか。
 沖縄には極東最大の米空軍基地・嘉手納飛行場(1985ヘクタール)があり、さまざまな基地被害をもたらしている。全国の米軍専用施設面積の4分の3を押し付けられている沖縄から見れば「普天間」の返還はささやかな望みだ。県内に移せなければ危険な基地を固定化させるという発想は乱暴であり人道にも反する。
 今や大多数の県民が県外・国外への移設や無条件の返還を求めている。県内移設が事実上不可能なのは、仲井真弘多知事が繰り返し指摘している通りだ。だが野田佳彦首相は16日の参院本会議で、オバマ米大統領との首脳会談で日米合意の推進を再確認する意向を表明した。
 早くも主体的に判断することをやめてしまったのか。今からでも遅くはない。「米軍再編の見直し」という政権公約を思い起こし「県外・国外」へと舵(かじ)を戻してほしい。


異常なのは日本ばかりではなく、世界中がおかしくなっていると言われても、なんの慰めには当然ながらならない。個人的には、もう一回足下から見つめ直すしかない。その前に、もうひとつだけ紹介。「みんなの党」に近い古賀さんの政策を是認するわけではないが、言っていることは頷ける。

>野田内閣 役所にとって“古き良き時代”に戻れるため歓迎中(NEWSポストセブン9月17日)
 現役官僚として改革提言を続けベストセラーを連発する古賀茂明氏と、SAPIOの人気連載「おバカ規制の責任者出てこい!」の著者・原英史氏は経済産業省の先輩後輩にあたり、自民党政権時代には国家公務員制度改革推進本部でともに「霞が関改革」に取り組んだ。船出した野田新政権は「官僚の壁」を越えて改革を進めることができるのか、同志2人が議論した。
○野田佳彦首相の誕生をどう受け止めているか。
古賀:「霞が関は喜んでいるようですね。なんといってもドジョウですから」
○ドジョウ内閣は役所にとってありがたい?
古賀:「経産省で言えば、どちらかと言えば改革を志向していた時代から、デフレ下のこの20年近くは、『かわいそうな中小企業を守りましょう』などと言って企業保護政策の強化に転換してきた。その時に使われたのが、『地に足がついた政策をやりなさい』という言葉です。私はこの後ろ向きな政策を『地べた主義』と呼んでいるのですが、ドジョウは地べたどころか、水の下の泥の中ですからね(苦笑)」
原:「基本理念は『和と中庸』だから、思い切ったことはやりませんということですよね。彼が野党時代に書いたものを読むと、公務員制度改革や規制改革、無駄遣いをしている特別会計は全部なくしてしまえとか、相当思い切ったことを言っていた。しかし、財務大臣になると、『無駄遣いを削ってもたいして財源は出てこないから増税しかない』と全部撤回してしまった。役所にとっては最善の結果でしょう。特に役所の幹部クラスは、20年くらい前の、コンセンサスと根回し重視で、役所の活躍の機会の増える“古き良き時代”に戻れるからありがたいと受け止めている」
古賀:「野田さんの代表選の演説は心に訴えたと言われていますが、私は逆に気になった。『私は金魚じゃなくて、ドジョウだ』という言葉を、世界の人が聞いたら奇妙に思う。どう訳したのか非常に興味がある。あの意味は前任者の菅さんや鳩山さんが思いつきで政策的にぴょんぴょん跳ねて、パフォーマンスをやったことに対するアンチテーゼだった。考えてみると、民主党はこれまでずっとアンチテーゼなんです。『自民党政治じゃダメだから民主党』『官僚主導じゃダメだから政治主導』だとか、今度もパフォーマンスや人気取りじゃダメだから、『地道にドジョウでやります』と。今までを否定するだけで、では否定して何をするのかが全く示されていない。今回も増税だけははっきりしているが、それ以外はないでしょう」


最後に、石川源嗣さんのツイッターに紹介されていた、やはり東京東部労組の長崎さんのツイッターに紹介されていた9.19の写真が素晴らしかったので、自分も保存のために紹介しておく。

>nagasakihiroshi 長崎 広 ishikawagenjiがリツイート
素晴らしい10枚の写真です!シュピーゲル紙 http://ht.ly/6yqmM  Demo in Tokio:  - SPIEGEL ONLINE - Nachrichten - Panorama |
9月21日

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