5/3に伊藤真さんは「原発は憲法違反」と痛罵

昨日は憲法記念日だったが、ほとんどメディア、特にテレビは報じないし、話題にもしない。病気療養のためになかなか出歩けず家にいることが多い毎日だが、テレビの内容の低劣さにニュース以外は見なくなっている。同じようなタレントばかりが登場し、笑えもしない内容の番組ばかりなのは、やはり意図的なのだろうか。そんな中で、2日夕刊の東京新聞一面トップは、89歳の瀬戸内寂聴さんが大飯原発の再稼働に反対し、経済産業省前のテント村で座り込み・ハンストに参加したことを伝えた。翌日テレ朝のモーニングバードでも報じていたが、重い気分が救われる(?)感じが起きる。参加したのは、寂聴さんと作家の沢地久枝さん(81)、ルポライターの鎌田慧さん(73)。午後から作家の落合恵子さん(67)も加わり、再稼働反対を訴えた。「戦争を経験しているが、あの時より現在の方が悪い」と言いきる寂聴さんの声は下記のHPでも見られるが、もっと本質的な突きつけを行っている。それは、寂聴さんを含めた私たちの「責任」と言うことだ。安全神話を容認し、地震列島にこれほどまでの原発をつくり、稼働させ、今も原子力村が健在なことに対し、寂聴さんは自らも反省しテント村にかけつけた。憲法が私たち国民を守ってくれるわけではない。私たちの不断の努力によって初めて憲法が力をもつ。それが常識なのだが…。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012050302000094.html

東京新聞は、昨日も憲法記念日にあわせて大きな特集記事を載せた。憲法学者・伊藤真さんは「原発は憲法違反だ」と訴えている。「放射能の危険にさらされないで生きたいという人権を、憲法は保障しています。憲法の平和主義の根幹は攻撃されない国をつくること。テロの標的になり得て、攻撃されれば原爆と同じようになるものを持つべきではない。核と原子力。英語ではどちらも「nuclear」なのに日本では使い分けてきたのです。」この文章もぜひ読んで欲しい。http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012050302000105.html

琉球新報によれば憲法記念日の未明に、普天間では異様な警報音が突然鳴り響いたという。米軍は「警報器が誤作動した」というが、あまりにも意図的だ。

>3日午前0時半ごろ、宜野湾市の米軍普天間飛行場から警報器音とみられるごう音が30分余にわたり鳴り響いた。宜野湾署と宜野湾市消防本部が普天間基地に問い合わせたところ「警報器の故障により、アラームが誤作動しているようだ。修理中だ」と回答したという。宜野湾署などには住民からの通報が数十件寄せられた。
 琉球新報にも住民から複数の問い合わせがあった。同市愛知に住む50代の男性は「うるさくて眠れない」と怒りをあらわにした。同市宜野湾の60代女性は「すごい音が鳴っている。気味が悪い」と話した。


寂聴さんのいたたまれない危機感を、理解するように努力したい。少なくとも、今の野田政権に政治を任せるわけにはいかないとして、「不支持」という世論調査は調査の度に増えつつある。寂聴さんは一緒にされるドジョウが可哀相だと痛罵したが、次の総理大臣が見えない。谷岡郁子さんら女性たちに任せたらと、以前にも書いたが、米国にあそこまでコケにされ歓迎宴も開かれない総理大臣よりは、まだ希望を感じる。

大手全国紙ではない、いつも読んでいる地方紙の社説を紹介し、終える。自分の部屋のパソコンを修理に出してしまったため、実は苦労している。治療継続中の苦労もあわせてご理解いただきたい。先日、友人に病状を話そうとしたら、誰も寒気がするので聞きたくないと言われたので、ここでも紹介しない。そんな中でも各社説の内容はそれぞれがキラリと光っている。やはり、新聞労連は「連合」に加盟しない方がいいのかもしれない…と、最後に言う必要のないコメントを言ってしまった。反省! なお笑い話にもなった橋下市長の「日本では、震災直後にあれだけ『頑張ろう日本』『頑張ろう東北』『絆』と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています」とのツイッターについても、書こうかと思ったが、レベルがあまりにも低すぎてやめた。興味のある方は「村野瀬玲奈の秘書課広報室」をご参照されたい。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3219.html
では4本の社説を続けて紹介。

憲法記念日 震災便乗の議論 危惧する(北海道新聞社説 5月3日)
 大震災と原発事故の傷痕が残る中、日本国憲法が施行65年を迎えた。
 発生から1年以上たつのに、被災者の多くはいまだに憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」(25条)すら回復していない。憲法の理念を復興に生かすことは政治の責任のはずだが、与野党ともそうした意識は乏しい。
 その一方で、震災に乗じて改憲を推し進めようという動きが活発になっている。自民、みんな、たちあがれ日本の3党が相次ぎ改憲案を発表、国会の憲法審査会も動きだした。
 憲法の精神を隅々まで行き渡らせるには、どうすべきなのか。いま憲法に向き合う姿勢が問われている。
●本音は9条改廃では
 「まるで亡霊のように出てきた」。東大名誉教授の奥平康弘さんは3・11以降の改憲をめぐる動きに警鐘を鳴らす。
 自民党などが改憲論議を急ぐ理由に挙げているのは「緊急事態条項」の必要性だ。大規模災害やテロなどがあった場合、首相の権限を強化し、国民の権利を制限できる。
 震災で政府の危機管理のお粗末さが露呈したことは否定できない。だがそれを憲法の欠陥であるかのように主張するのは筋違いだ。現在でも災害対策基本法や武力攻撃事態対処法などに、さまざまな緊急事態に対処する仕組みがある。現行法に不備があるなら、憲法の枠内で見直すべきだろう。
 非常事態を理由に人権を抑圧し、戦争への道を突き進んだ歴史を忘れてはならない。
 そもそも改憲派にとって震災はあくまで口実であり、本音は9条の改廃にあるのではないか。自民党案は今の9条1項(戦争の放棄)は残しているものの、2項(戦力不保持・交戦権の否認)は削除し、「自衛権の発動を妨げるものではない」との規定を加えている。集団的自衛権の行使には触れていないが、自衛権にはこれも含まれるというのが自民党の解釈だ。自衛を名目にした海外での武力行使に道を開く危うさを抱えている。
 民主党政権は武器輸出三原則の緩和をなし崩しに進め、友好国との武器の共同開発と人道目的での装備品供与を解禁した。三原則は平和国家としての「国是」でもある。憲法の精神をないがしろにした方針転換といっていい。先の日米首脳会談では防衛協力の強化で合意したが、これも慎重に対応する必要がある。
 国民が求めているのは戦争のできる国をつくることではあるまい。被災地の現状を考えれば、まずは憲法の原点に立ち返ることだ。
●「生存権」の回復こそ
 福島県九条の会がまとめた報告集「福島は訴える」(かもがわ出版)には、原発事故の体験が生々しくつづられている。原発問題を取り上げることは会の設立趣旨から外れるとの意見もあった。だが原発を止められなかった自責の念とともに、県民の人権と生活が破壊されている実態を伝えねばならないとの思いから出版した。
 放射性物質に汚染されたグラウンドやプールの除染に苦心する福島市の保育園長は「子どもたちに土と太陽と空気を返して」と訴える。
 埼玉県に避難している男性は憲法に盛り込まれた平和的生存権などの権利が「肝心な局面で画餅に終わっている」と政府の対応を批判する。憲法前文にある「恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」までが侵害されているというのだ。
 報告集から伝わってくるのは「日常」を取り戻したい、という切なる願いだ。ところが現実には多くの人が「居住・移転、職業選択の自由」(22条)を奪われたままで、いつ戻れるかのめども立っていない。 被災者の踏みにじられた権利を一刻も早く回復することは国の役割であり、最優先課題であるはずだ。
●試される不断の努力
 この連休中も被災地には全国からボランティアなどが駆けつけ、復興を手助けしている。
 3・11をきっかけに、国民の価値観は大きく変わった。個人が主体的に参加し被災者と負担や痛みを分かち合う。自らの生活を見直し原発に依存した社会のあり方を根本から変革する―。そんな新しい動きが出てきている。
 憲法は国民の権利を保障すると同時に、国民に自覚も促す。12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と規定する。危機の時代だからこそ国民の憲法に対する意識が試されているのだ。
 政府は脱原発依存を掲げながらも、再稼働に前のめりになっている。子どもや孫の世代の安心・安全をどう守るのか。政治家任せにするのではなく、国民一人一人が判断し行動する必要がある。近代国家の憲法は国民が権力を縛るためのものだ。その意味でも憲法が保障する権利を守り抜くことは私たちに課せられた責務である。

憲法記念日 活憲で命輝く社会を/沖縄は不沈空母ではない(琉球新報社説 2012年5月3日)
 おびただしい数の住民が犠牲になった沖縄戦から7年後の1952年4月28日、対日講和条約が発効した。沖縄は日本から分離され、米国施政権下に置かれた。非戦を誓った憲法秩序からの完全離脱を強いられたわけだ。
 講和から4年後の1956年、米軍の基地強制接収にあらがう島ぐるみ闘争が最高潮に達した。この年、詩人山之口貘は、米軍基地に組み敷かれた故郷を悲しむ「不沈母艦沖縄」を世に問うた。〈まもなく戦禍の惨劇から立ち上り きずだらけの肉体を引きずって どうやら沖縄が生きのびたところは 不沈母艦沖縄だ〉
◆安保が上位でいいのか
 戦争を放棄し、恒久平和の理念を掲げる日本国憲法は施行から65年を迎えた。県民は主権者として、平和憲法の恩恵を実感できる沖縄の実現を求め続けている。
 しかし、基地負担が重くのし掛かる沖縄の現実に照らせば「平和憲法の下への復帰」はいまだ遠い。それが施政権返還40年の年に県民が抱く憲法への実感だろう。
 児童が授業を受ける小学校の教室内で、車の1~2メートル前で聞くクラクションと同じ大きさの轟音(ごうおん)が容赦なく響く。いつ襲来するか予測がつかない音の源は米軍機だ。
 罪を犯した米軍人・軍属が基地に逃げ込めば、すぐには逮捕できない。不平等な日米地位協定が改められる気配もない。
 住民の命の重さを二の次にし、平穏に暮らす最低限の生活環境、主権が脅かされる地域が国内のどこに、どれだけあるだろうか。
 日米両政府が沖縄の基地負担軽減を何度話し合っても、軍事的思惑が最優先され、沖縄に基地を押し付ける構図は変わらない。実効性を伴わない「虚飾の負担軽減」が屋上屋を架しているように映る。
 さらに中国をにらんだ「動的防衛力」を掲げ、先島への自衛隊配備に前のめりとなる国の姿が鮮明になっている。
 在日米軍再編見直し協議で、日米の軍事協力を強化するため、国外の米軍基地を自衛隊が使い、日本が資金を拠出する枠組みが打ち出された。専守防衛の憲法理念、国是を逸脱する動きが国会での議論もなく加速することは危うい。
 日米両政府と、新基地を拒む、沖縄の民意との溝は深い。安保が上位に立ち憲法をしのぐ状況も深まっている。沖縄はあたかも憲法が機能しない「番外地」のようだ。
 山之口貘が、沖縄を不沈母艦になぞらえ、悲嘆した状況と何がどう変わったのだろうか。
◆放置される不条理
 為政者の最大の役割は、憲法に基づいて、国民の生命・財産を守ることにある。
 日本政府の側に憲法を守り、国民を大切にする意識が希薄だからこそ、沖縄の「不条理」が是正されないまま放置されている。
 権力の暴走に歯止めをかける憲法が持つ役割、輝きがくすんでいるのではない。主権者である私たちは、諦念(ていねん)にとらわれ、理想をかなぐり捨てるわけにはいかない。
 立法、司法、行政の三権、そして地方自治体、国民一人一人が憲法を活(い)かす「活憲」の思考回路を広げることで、市民の目線でこの国の在り方や人権状況を問い直し、改めていかねばならない。
 昨年3月に起きた東日本大震災を機に、憲法25条が定める「生存権」にあらためて光が当たった。同条は「すべての国民は健康で、文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とうたう。
 原子力発電の危険性への備えと民主主義に欠かせない情報公開が欠けたまま、福島第1原発事故が起き、未曽有の被害が生じた。
 放射線が残り、帰宅すらかなわない住民も多い。「安保」と同様に「原発推進」の国策が憲法を凌駕(りょうが)して安全を置き去りにし、住民の生命、財産を危機に追いやった。
 生存権や幸福追求権に根差した大震災・原発事故の被災地復興と、沖縄の差別的な基地集中の是正に憲法再生の道筋を重ねたい。

[憲法記念日に]沖縄で主権在民を問う(沖縄タイムス社説 2012年5月3日 )
 憲法は権力に対する命令である―と、一度、口に出して言い切ってみよう。憲法に対する日ごろのモヤモヤが吹っ切れ、憲法が頼もしく思えてくるはずだ。
 強大な権力をもつ政府が国民の権利や自由を侵害しないよう、政府に対し、法的な義務や制約を課すこと。それが憲法の基本原理である。そのような基本原理の上に立って日本国憲法は「主権在民」「平和主義」「基本的人権の尊重」という三つの原則を掲げている。
 日本国憲法が施行されてから、きょうで65年。そのうちの25年間、施政権が返還されるまで、沖縄には憲法が適用されていなかった。
 憲法という強力な後ろ盾をもたない住民は、人権を守り自治を実現するため、統治者に素手で立ち向かい、はね返され、転んでは起き上がって、コブシを振り上げ続けた。その繰り返しが沖縄の戦後史を形づくったといっていい。
 復帰後の沖縄において憲法は、県民の期待に応える働きをしてきただろうか。
 復帰から5年後、憲法施行30周年に当たる1977年5月3日、平良幸市知事は、県民に向け苦渋に満ちたメッセージを発表した。「国民の生命と財産を守るためにあるはずの安保条約が逆に県民の生命、財産を脅かす要因になっている」
 沖縄では憲法の「主権在民」が全うされているとは言い難い。「主権在米」「主権在官」というしかないような倒錯した事態が、基地問題をめぐって、しばしば起きている。米軍への優遇措置を盛り込んだ地位協定が、憲法で保障された諸権利の実現を妨げているのだ。
 沖縄国際大学へのヘリ墜落事故で米軍は当初、地元警察や消防を排除し、現場を管理した。地位協定の内規がどうであれ、明らかな主権侵害である。
 沖縄で頻発する地位協定がらみの問題が、もし東京で発生したら、政府や政治家、マスメディア、都民はどう反応するだろうか。
 日米の高級官僚レベルの交渉で基地問題が決定され、民意が反映されないという意味では沖縄の現実は「主権在官」だ。沖縄防衛局は、工事車両の通行を妨害しているとの理由から、米軍のヘリパッド建設に抗議する住民個人を裁判所に訴えた。
 かと思うと、沖縄防衛局が、基地所在市町村の首長選挙に露骨に介入していた事実も明らかになった。「9・11」(米国同時多発テロ)、「9・15」(リーマンショック)、「3・11」(東日本大震災と原発事故)。21世紀に刻まれたこの三つの日付は、世界と日本を根底から変えた。国の統治のあり方や資本主義の未来、エネルギーと環境と生命の相関関係について、一から考え直さなければならなくなった。
 未来をどのように構想するか。基地問題の解決も、この大きな変化を前提にすべきだ。既得権に凝り固まった官僚政治の中からは、基地問題の解決策は生まれない。


憲法記念日に考える 人間らしく生きるには(東京新聞社説 2012年5月3日)
 大震災の復興も原発被害の救済も進まない。雇用環境が崩壊しては、若者たちの未来がない。人間らしく生きる-。その試練に立つ現状をかみしめる。
 哲学書としては異例の売れ行きをみせている本がある。十九世紀のドイツの哲学者ショーペンハウアーが著した「幸福について」(新潮文庫)だ。「幸福を得るために最も大事なのは、われわれ自身の内面のあり方」という、わかりやすいメッセージが、暗いニュース続きの日本人の心に染みているからだという。次のようにも記されている。
◆重たい政治の足取り
 《幸福の基礎をなすものは、われわれの自然性である。だからわれわれの福祉にとっては健康がいちばん大事で、健康に次いでは生存を維持する手段が大事である》
 生存を維持する手段-。まさしく憲法の生存権の規定そのものだ。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障した第二五条の条文である。
 大震災と原発事故から一年以上も経過した。だが、岩手・宮城のがれき処理が10%程度というありさまは、遅延する復旧・復興の象徴だ。原発事故による放射能汚染は、故郷への帰還の高い壁となり、今なお自然を痛めつけ続けてもいる。
 肉体的な健康ばかりでなく、文化的に生きる。主権者たる国民はそれを求め、国家は保障の義務がある。人間らしく生きる。その当然のことが、危機に瀕(ひん)しているというのに、政治の足取りが重すぎる。
 生存権は、暮らしの前提となる環境を破壊されない権利も含む。当然だ。環境破壊の典型である原発事故を目の当たりにしながら、再稼働へと向かう国は、踏みとどまって考え直すべきなのだ。
 国家の怠慢は被災地に限らない。雇用や福祉、社会保障、文化政策…、これらの社会的な課題が立ちいかなくなっていることに気付く。例えば雇用だ。
◆50%超が不安定雇用
 若者の半数が不安定雇用-。こんなショッキングな数字が政府の「雇用戦略対話」で明らかになった。2010年春に大学や専門学校を卒業した学生85万人の「その後」を推計した結果だ。
 三年以内に早期離職した者、無職者やアルバイト、さらに中途退学者を加えると、40万6千人にのぼった。大学院進学者などを除いた母数から計算すると、安定的な職に至らなかった者は52%に達するのだ。高卒だと68%、中卒だと実に89%である。予想以上に深刻なデータになっている。
 学校はまるで“失業予備軍”を世の中に送り出しているようだ。就職しても非人間的な労働を強いられる窮状が、かいま見える。
 労働力調査でも、完全失業者数は三百万人の大台に乗ったままだ。国民生活基礎調査では、一世帯あたりの平均所得は約550万円だが、平均を下回る世帯数が60%を超える。深刻なのは、所得200万円台という世帯が最も多いことだ。生活保護に頼らざるをえない人も200万人を突破した。
 とくに内閣府調査で、「自殺したいと思ったことがある」と回答した二十代の若者が、28・4%にも達したのは驚きだ。「生存を維持する手段」が瀬戸際にある。もはや傍観していてはならない。
 1929年の「暗黒の木曜日」から起きた世界大恐慌で、米国は何をしたか。33年に大統領に就任したルーズベルトは、公共事業というよりも、実は大胆な失業救済策を打ち出した。フーバー前政権では「ゼロ」だった失業救済に、34年会計年度から国の総支出の30%にもあたる巨額な費用を投じたのだ。
 当時、ヨーロッパでも使われていなかった「社会保障」という言葉自体が、このとき法律名として生まれた。「揺りかごから墓場まで」という知られたフレーズも、ルーズベルトがよく口ずさんだ造語だという。
 翻って現代ニッポンはどうか。社会保障と税の一体改革を進めるというが、本音は増税で、社会保障の夢は無策に近い。「若い世代にツケを回さないため」と口にする首相だが、今を生きる若者の苦境さえ救えないのに、未来の安心など誰が信用するというのか。ルーズベルトの社会保障とは、まるで姿も形も異なる。
◆現代人は“奴隷”か
 18世紀の思想家ルソーは「社会契約論」(岩波文庫)で、当時の英国人を評して、「彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイ(奴隷)となり、無に帰してしまう」と痛烈に書いた。
 21世紀の日本人は“奴隷”であってはいけない。人間らしく生きたい。その当然の権利を主張し、実現させて、「幸福の基礎」を築き直そう。

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この記事へのコメント

norapen
2012年05月04日 20:54
怨霊となるにはまだまだ。
 テレビはダメです。ラジオですよ。

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