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zoom RSS 社会貢献と賃金が反比例するのは理不尽なのか…

<<   作成日時 : 2018/08/06 05:48   >>

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「労働情報」誌でも「賃金」に関して誌上討論を継続しているが。関心は低い。自分も自己の軌跡を含み悩む課題だ。今朝は東洋経済オンラインのこの記事を読んでさらに悩む。「生産性」という言葉も大嫌いだったが、「働く」ということにはデマゴーグが多すぎる。嫌いな歌だが「しあわせの歌」に「仕事はとっても苦しいが〜」の一節があり、これは正しいと思う。本来、「8時間労働」はその主旨であり、「社会的有用労働」などの言辞も余計だったと思っている。とはいえ現実は不条理に充ち満ちている。議員報酬なども世界的にはあり得ない制度だと感じており、かつて北欧を訪問した際に、ストックホルムの市議会は、本来の仕事を終えた議員が集まれる夕刻に開催すると聞き、納得した。そして、その場には官僚・職員など行政はほとんど関与せず議員だけで議論し、決定するという。それが地方分権の原点だが、日本ではまったく異なる。

…と、ここまで書いて、「では都労委委員の報酬は?」と考え、また悩む。自分が60歳定年後、再雇用ではなく労働者委員継続を選択したのは、その報酬が再雇用賃金と同程度の金額だったからで、それに見合う仕事量も存在した。現役時代はその報酬をもらわずにプールし、諸活動に利用させていただいたが、本来はどうあるべきなのだろう。今やほとんどの労委では、委員報酬は事件などの際の出面日当になっており「制限」されているが、都労委の場合は日々多忙であり、完璧に委員歳費に見合う「労働」だった…。

ここまで最低賃金に張り付く低賃金労働が社会に拡がる中で、議論すべき課題だが年収1千万円を超えるであろう多くの労組専従者(もちろんゼンセンのような低い組織もあるが…)には、理解できない課題でもある。無性に議論したくなった次第…(苦笑)。とはいえ、昨日から自室の温度計はは30度を下回らない。
…原爆忌 焦がれる熱に いのち問う
…蝉声は 嘲笑なのか 生きる意味

社会に貢献している人ほど賃金が低い理不尽 無意味な「クソ仕事」ほど賃金が高い(東洋経済オンライン 2018/08/04)
https://toyokeizai.net/articles/-/231990
 経済学者のジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946年)は、 1930年に”Economic Possibilities for our Grandchildren(孫の世代の経済的可能性)”というエッセイの中で、イギリスやアメリカのような先進国では、テクノロジーの進化によって20世紀末までに週15時間労働が実現しているだろうと予言した(”Essays in persuasion<ケインズ 説得論集>”)。
 ケインズの指摘する通り、確かにテクノロジーは大いに進化したものの、結局、この予言は当たらなかった。ロンドンスクール・オブ・エコノミクス(LSE)の社会人類学教授のデヴィッド・グレーバーは、その理由を、テクノロジーがむしろ無意味な仕事を作り出す方向に使われたからだと説明する。
 グレーバーは、”We are the 99%(我々は99パーセントだ)”というスローガンで行われた、2011年のニューヨークでの抗議活動”Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)”の理論的指導者として一躍有名になった、反グローバリズムを訴えるアナキストの社会活動家でもある。
◆「今の道徳観は真っ赤な嘘」
 彼は代表作の”Debt - Updated and Expanded: The First 5,000 Years(負債論 貨幣と暴力の5000年)”の中で、貨幣の歴史は血と暴力によって彩られた負債の歴史であり、「借りたお金は返さなければならない」と信じられている今の道徳観は真っ赤な嘘で、我々は全てを帳消しにして出直すべきだと宣言して、世界中に大きな衝撃を与えた。
 そして今、世界中で話題になっているのが、グレーバーの新刊書”Bullshit Jobs: A Theory(どうでもいい仕事:その理論)”である。グレーバーは、これに先立つ2013年に、"On the Phenomenon of Bullshit Jobs(どうでもいい仕事という現象)”というエッセイを発表して大評判になったが、本書はそれを加筆して書籍化したものである。
 タイトルも含めて、本書に”bullshit(ブルシット)”が出てくる箇所は無数であり、この単語が何回出てくるか、是非とも誰かに数えてもらいたい。多分、1000回以上は出てくるのではないだろうか?
 ”bullshit”は、英和辞書には、少し品良く「たわごと」とか「でたらめ」と書かれているが、直訳すれば「牛の糞」だから、日本語でもやはり「クソっ!」ということである。最近、ネットでもやたらと「クソ〜」という言葉が氾濫しているが、あれと全く同じニュアンスだと思えば良い。従って、本書のタイトルを直訳すれば、「クソな仕事」ということになるのだが、グレーバーは、具体的にはどのような仕事を”bullshit job”と考えているのだろうか。
 グレーバーが”bullshit job”という言葉を思い付いたのは、カクテルパーティーで自分の仕事について話したがらない人に、一度ならず出会ったからだそうだ。グレーバーの話にはとても興味を持ってくれるのに、自分の仕事の話になると直ぐに話題を変えてしまう。そして、少し酒が入ると、「上司には内緒ですが、自分は何にもやってないようなものです」と打ち明けてくれる。
 そうした人達は、往々にして会議で図表やグラフを駆使してプレゼンするような中間管理職なのだが、実際にこんな会議を望んでいる者は誰もいないし、出席したところで何かが変わる訳でもないことを、自分自身でもわきまえている。そこでグレーバーは、こうした類の仕事を”bullshit job”と呼ぶことにしたのだそうだ。
◆無意味な5つの仕事
 彼は世の中の仕事の過半数は無意味であるとした上で、特に、次に挙げる5つの仕事は全く無意味であると結論付けている。
@ ”Flunkies(太鼓持ち)” 受付係、秘書、ドアマンなど、自分が重要な人物だと思わせるために存在する仕事
A ”Goons(用心棒)” ロビイスト、企業弁護士、テレマーケター、広報など、雇い主のために相手を攻撃する仕事
B ”Duct Tapers(落穂拾い)” 出来の悪いプログラムの修正など、そもそもあってはならない問題の手直しをする仕事
C ”Box Tickers(社内官僚)”  パフォーマンスマネジャー、社内広報誌のジャーナリスト、休暇のコーディネーターなど、内向きの仕事
D ”Task Makers(仕事製造人)” 中間管理職やリーダーシップの専門家など、無駄な業務を生み出す仕事
 20世紀になって、金融サービスやテレマーケティングなどの新しい情報関連産業、それから企業法務、人事、広報といった管理系のホワイトカラーの仕事が急拡大している。グレーバーに言わせれば、例えば、プライベート・エクイティ・ファンドのCEO、ロビイスト、PRリサーチャー、テレマーケティング担当者、企業弁護士などは、消えてしまってもたいして困らないし、むしろ社会は良くなるかも知れない類の仕事である。
 まるで誰かが意図的に、我々を働き続けさせるためだけに無意味な仕事を作り出したかのようであり、何より問題なのは、こうした仕事は、やっている本人自身が何の役に立つのか分かっていないということである。しかも、このおかしな状況についてこれまで公に議論されることもなかったというのが、グレーバーの指摘である。
 実際、イギリスの有力な調査会社ユーガブ(YouGov)がグレーバーの言葉を直接引用して調査を行ったところ、労働者の37%が「社会に対して意味のある貢献をしている」とは思っていないことが判明した。「自分の仕事が有用だ」と思っているのは50%に過ぎず、残りの13%が「分からない」と回答している。
◆いなくなったら困る人達ほど賃金が低い
 つまり、こうした”bullshit job”に携わっている人々は、自分の仕事が「無意味でくだらない」と思いながらも働き続けるのである。(World Economic Forum:“A growing number of people think their job is useless. Time to rethink the meaning of work”でも、こうした調査について言及している。)
 これまでは、実際に何かを作り、運び、直し、維持する人々がリストラされてきた一方で、多くの従業員が書類上では週40〜50時間働いていることになっていながら、実際に働いているのはわずか15時間程度で、残りは自己啓発セミナーに出席したり、フェイスブックのプロフィールを更新したりと無駄に時間を過ごしている。
 そして、医師のようなわずかな例外を除けば、看護師やバスの運転手のように直接的に社会に貢献していて、いなくなったら困るのが明らかな人達ほど賃金が低く、社会的には恵まれない立場に置かれており、逆に人々の怒りのはけ口にされてしまうことが多い。
 他方、上述したように、消えてしまってもたいして困らないであろう金融サービスや企業弁護士などの年収は、往々にして10万ドルを超えているというのが、グレーバーの指摘である。
 ”bullshit job”は、豚肉一切れを売るために5人の人間を雇っていたような、共産主義時代のソヴィエト連邦であれば存在し得ただろうが、利益の最大化とコストの最小化を追求する現代の資本主義社会において、とりわけ利益至上主義の大企業においては、存在し得ないはずである。それにも関わらず、なぜなくても困らない”bullshit job”に賃金が支払われ続けるのだろうか。
 グレーバーは、その仕事がどれだけ無意味だとしても、規律を守って長時間働くこと自体が自らを価値づけるのだという現代の労働倫理観は、労働にはそもそも宗教的な意味があるというピューリタンの精神に由来すると考えている。そして、このメンタルな縛りを、現代人の「潜在意識の奥底に組み込まれた暴力」であると言う。
 封建時代には、労働というものは貴族階級からの蔑みの対象でしかなかったが、社会契約説で有名なジョン・ロック(1632-1704年)のような過激な思想家達によって、労働者階級が担っている労働の苦しみは、それ自体が善であり、気高いものであるというように、発想の転換がもたらされたのである。
 これを、マックス・ヴェーバー(1864-1920年)の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』的に言えば、働くことを通じて、自分は救われるべきものであるという神の恩寵を確信できるというプロテスタンティズムの倫理観の誕生が、労働そのものに意味があるという現代の労働観につながっているということである。
 グレーバーの議論は、ここから先が少々陰謀論じみてくるのだが、こうした無駄な労働であっても意味があるという労働観は、経済的には意味がなくても政治的には意味があるのだと言う。つまり、彼に言わせれば、こうした考えは、富の大部分を手にした上位1%の支配階級にとっては好都合であり、人々が仕事に忙殺されていれば暴動は起こりにくいが、生産性が上がって労働者が自由時間を手にしてしまうのは、支配階級にとって非常に危険なことだと言うのである。
◆ケインズ自身は悲観的な見方をしている
 こうしたグレーバーの見立てが正しいかどうかは別として、最後にもう一度、冒頭のケインズの説得論集に戻ってみると、人間の労働からの解放という点に関しては、ケインズ自身はかなり悲観的な見方をしている。なぜかと言うと、人類の誕生以来、生存のための闘争、即ち、経済問題は最も重要な課題であり続けてきたのであり、経済問題の解決という目的のために本能を進化させてきた人類が労働から解放されてしまったら、多くの人々は何もすることがない状態に堪え切れず、ノイローゼになってしまう恐れがあるからである。
 そして、この問題の解決策として、グレーバーは最低限所得保障であるベーシックインカムの導入を提唱している。なぜなら、これによって人々は働くことの強迫観念から逃れることができるからである。
 プロテスタント的な労働観が、数百年の長きにわたって我々自身の中にしみ込んでしまっている以上、本当にベーシックインカムがこれを打ち破る道具になるのかは怪しいと思うが、今、日本でも盛んに議論されている働き方改革を考える上でも、我々がやっている仕事は、本当は”bullshit job”なのではないかと問い質してみることは重要なのではないかと思う。;

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内 容 ニックネーム/日時
グレーバーなる「仕事に貴賎を付けている陰謀論吐き」を批判できていない時点で水谷氏は人生終了しているんですがね?(嘲笑)
韓国人と仕事して困ったことまとめ
2018/10/20 14:24

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