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zoom RSS 原発推進を容認した労組OBに今できること

<<   作成日時 : 2011/04/26 07:35   >>

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かつて政労連(連合結成前は政労協)のドンであり、退任後、少人数でピョンヤンを一緒に訪れた滝沢幸一さんから、長文の3.11に関する書簡をいただいた。大先輩には失礼だが、歯に衣着せぬ硬骨漢で、ピョンヤンを訪れた際にもハラハラし通しだった(実際には和気藹々)ことを思い出す。原発事故に対して、滝沢さんらしい率直な「反省」も表明されているので、一部(最後の部分だけだが)紹介したい。原子力関連の労働組合には、電力総連、電機連合以外にも、滝沢さんの政労連や、全労連系の特殊法人労連があり、それぞれの加盟組合事情(人は「権益」と呼ぶかもしれないが…)から、さまざまな議論が行われてきた。全労連が脱原発を明確に方針化できなかったのにも実は様々な経緯がある。しかし、過去は過去として、3.11以降は全面的に考え直さなければならない。

その前に、原発を容認してきた「連合」の取り組み(「連合」は原発を容認するために結成されたと指摘する方もいる)について、現役の役員がどう見直し判断するか注目していることをこのブログでも綴ってきたが、『労働通信』にはこう表現されていた。

>◆原発推進政策は棚上げに/連合が提起/「然るべき時期」に再論議(連合通信・隔日版 11/4/23)
 連合は4月20日に開いた中央執行委員会で、原子力発電所の新増設などを掲げていたエネルギー政策の棚上げを提案した。東京電力福島第一原発の放射能漏れ事故の収束のめどがつかず、「住民の理解が確保され難い」というのが理由。今後の方向付けは「然るべき時期に議論する」としている。
 ●現政策の継続にも含み
 2年に一度、総合的な政策を練り上げる政策制度中央討論集会(4月25、26日、東京)で提案し、6月の中央委員会で確定する予定だ。原案は当初、原子力を重要なエネルギー源と位置付け、CO2削減に有効な手段と強調。計画中の原発新増設については、住民の理解を前提に着実に推進し、プルトニウムを活用するプルサーマル計画にも前向きな姿勢を示していた。
 東日本大震災を受け、連合は同日、中執で「災害復興・再生に向けた政策」案を発表。原子力エネルギーを推進する従来の政策は「より高度な安全確保体制の確立、地域住民の理解・合意という前提条件が確保され難い状況を考慮し、凍結する」と棚上げを明記した。推進派と慎重派に組織が二分されることを回避したもようだ。
 福島第一原発の事故処理の進ちょく状況を踏まえ、「然るべき時期」に原子力政策の総点検・見直しを行うと明記。併せて、政府に対しては深刻な放射能漏れの事態を打開するためのあらゆる対策と、「被害者への適切な救済」を求めていくとしている。
 原発依存を疑問視する世論が高まりつつあるが、エネルギー政策の見直しについて、古賀伸明会長は「どういう方向付けになるかわからない」と述べ、原発推進政策の継続にも含みを持たせた。


なお、関連して、こんなニュースも紹介しておく。

>◆消費税増税に否定的/連合の古賀会長/「震災復興税」の見解示す(連合通信・隔日版 11/4/23)
 民主党の最大支持団体である連合の古賀伸明会長は4月20日の記者会見で、震災対応などについて質問に答えた。要旨を紹介する。
 ●ゼロからの再生を 
 東日本大震災の被災地では復旧だけでなく、復興、再生に近づける政策を進めなければならない。(津波によるがれきを撤去するための)私有財産権の制限を立法化して、白紙にして街づくりを考えなければならないだろう。そうしないとあれだけ甚大な災害で、次への再生につながらないのではないか。
●「最後の最後の手段」
 (震災復興税として消費税を増税することは)最後の最後の手段。被災地の方々も支払わなければならなくなる。仮に増税を検討するならば、所得や資産への課税を検討するべき。
 ●「禁じ手」はだめ
 (復興の財源確保で)日銀による国債引き受けは「禁じ手」だ。EUでは禁止している。国際的な「禁じ手」を使っていいのか。復興税の創設という意見もあるが、それらを検討したい。
 ●どんな政権でも困難
 甚大な津波被害に、福島の原子力発電所の被害が加わった。どんな政権であっても難しいオペレーションを強いられたと思う。指示命令系統にもたつき感が否めなかったが、徐々に対応がなされるようになったのではないか。会議がたくさんあり過ぎてリーダーシップがとれていないならば、もう少しすっきりした形にすべき。
 ●極めて残念
 (民主党内で起きている菅首相退陣論は)極めて残念。今こそ一致結束して、オールジャパンで国難を乗り越えなければならない。


だいぶ脱線してしまった。マスコミの混乱も続いている。読売新聞は、選挙結果で原発反対の意思表示はされていない、というが、世田谷区長選挙で、旧知の保阪展人さんが、誰もの予想に反して当選できたのは、何よりもの「意思表示」だ。それでは、滝沢さんの文書を紹介する。

>いまにして思うのだが、私の原発対応は試行錯誤の連続であった。
 40年前、私は原発問題を核兵器廃絶運動の延長線でとらえて反対に回った。原発事故の恐ろしさは、核兵器の恐ろしさと変わらないと考えたからである。当時、原子力発電所の建設は、はじまったばかりで、政府が方針転換すれば、止めることができた。
 私は、政労協の組合員とその家族の健康と生活に責任を持つ立場から、断固として反原発の方針を支持し、政労協内の原発推進派と激しい議論となった。
 一方、核開発に従事する職場に働く動燃労は、化石エネルギーによる大気汚染と環境破壊を取り上げるとともに原子力に代わる次世代エネルギーの実用化が現実的でない現状では、安全第一とした原子力発電所の建設は国民生活の向上に不可欠だと論じた。加えて原発事故が絶対に起こらない保証はないが、だからこそ、日夜、事故防止へ向けて研究開発に努力していると付け加えた。私は、動燃労の要請を受けて、幾度も現場に赴き、組合員と膝を交えて議論を闘わしたものだ。
 私が、原発推進派に転向したのは、核の安全性を信頼したからではなかった。「事故が起きたら最初に犠牲になるのは私たちだ」と核開発に使命感をもって立ち向かう組合員の真摯な姿勢を無視することができなかったからである。
 リーダーに期待されるのは決断力である。日本の将来を決める重大な問題であれば、あるほど、あいまいな態度をとることは許されない。私は、どうしてもわからないときは、誰もいないところでサイコロを振って決めたことがあった。原発反対派から推進派への転向は、サイコロで決めたわけではないが、私の苦渋の選択であることには変わりはなかった。
 福島原発事故発生後、一週間が経って、心配なので原子力ユニオン(現日本原子力研究開発労組、旧動燃労)の渡辺委員長に電話すると、すでに約50人規模の職員が派遣されており、環境放射線モリタリング作業の実施、原子力安全委員会や文部科学省に対しての科学的知見や技術の提供等への協力、ならびに住民問い合わせ窓口の開設等の広報関係の支援にあたっている。
 事故現場では放射能被ばくの危険を冒しながら懸命な復旧作業が続けられていた。私には「最初に犠牲になるのは私たちだ」と語った若い組合員の顔が忘れられなかった。恐れていた炉心溶融が起こり、高濃度の放射性物質が流出してしまった。若い作業員が放射能被ばくで入院した。遺伝子への悪影響を考えれば、これから子孫を残す若者たちを危険な作業にあたらせてはならない。
 私は、原発推進派として、今度の原発事故に責任を痛感している。先日、見ず知らずの人から手紙が届いた。手紙には「福島原発暴発阻止行動プロジェクト」結成とあり、60歳以上の退職した元技術者・技能者を対象としたボランティア活動の組織化を呼び掛けていた。私には、何の技術も能力もないので資格はないが、幸いゴルフとマラソンで鍛えた体力が残っており、時間を持て余している。経済的には、年金のお蔭で他人に迷惑をかけることはない。私の周りには、元気な高齢者の仲間はいくらでもいる。飲むときだけが連帯や団結ではないのだから、今度は、私からSSC会員に呼びかけて、手弁当の賛同者を募り、人が嫌がる放射能汚染地帯でがんばっている人たちの手伝いをするボランティアはできないか、渡辺委員長に相談している。
●日本再建の原動力となった人情
 そのとき、母と14歳の少年だった私は、食糧の買い出しの帰りで、重いリックサックをしょって水戸駅まで戻ったが、屈強な闇屋が荷物を担いで我先に乗り込む鈴なりの最終列車に乗ることができなかった。二人はホームに取り残され、途方に暮れていた。発車ベルが鳴り、列車はスタートしようとした。そのときである。「ここから乗れ」と怒鳴り声が聞こえ、破れた車窓から二人を車内へ引きずり込んでくれた闇屋の親父がいた。もちろん見ず知らずの人である。敗戦のすさんだ世相の中で触れた人情は一生忘れることができなかった。
 私が、なぜ、こんな古い話を持ち出したかというと、本当に困ったときに出会った人情は、「地獄で仏」だ。絶望的なピンチを救ってくれた闇屋の親父が、私の心の中にあった日本人の団結心に火をつけ、困難に立ち向かう勇気を与えてくれたと思うからである。
 私たち焼け跡・焼トタン派は、戦後の混乱期、乞食のような生活をしながら、どこかで人に助けられた経験をみんな持っており、人情のありがたさが身にしみている。そして、困った人に会ったら、「今度は俺が力になろう」と素直に考えたものだ。
 作家の永井龍男は「毎年よくなるという確信ほど、その民族を団結させるものは他にない」と祖国の再建に立ち上がった日本人の底力を語っていた。乏しさを分かち合った日本民族の厚い人情は、東日本大震災の罹災者に対する連帯となって引き継がれ、日本復興の原動力になると、私は確信する。 2011年4月


残念ながら、先輩ほど自分は楽観していない。労働組合が高度成長期にその魂を見失ったように、終戦直後の日本とは大きく変わってしまっている。もし、今回の震災が、過去の津波経験が伝承され、高齢者が多く、厳しい寒さや過疎化の進む中で堪え忍んできた東北浜通り地域ではなく、首都圏で起きていたならば、外国から絶賛されている「秩序」が維持できただろうか。原発の必要性を強調するために実施されたと言われる計画停電だったが、あの程度の停電で吹き上がった混乱はそれは凄まじいものだった。しかし、とにかくこれだけの余震が継続する中で、事態がこれ以上悪化することだけは避けなければならない。そのためには最も危険な浜岡原発をまず停止しなければならない。そうではないだろうか、滝沢先輩。もちろん、滝沢先輩が、汚染地域でボランティアをするとならば、労委日程がない限り、自分だって協力したいゆえに声をかけて欲しい。それが原発推進を容認してしまったOBの責務だと自分も思う。

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